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ミリオタか自衛官?

2022年5月23日

1945年4月7日、戦艦大和が撃沈されました。世界最大最強の戦艦でありながら、海軍上層部が艦隊決戦用に温存する方針をとったためその威力を発揮する場はなく、遂に沖縄への特攻に向かう途中艦載機の攻撃によって沈没するという悲劇的な最期を迎えたのです。

私は小学生のころプラモデル作りにはまり、大和も作りました。男の子って強いもの、大きいもの、速いものに惹かれるんですよねえ。軍艦、軍用機、戦車、F1マシン、城と手当たり次第という感じで、小遣いをほとんどつぎ込んでいた気がします。子供のことなので精緻に仕上げようという気はなく、塗装などは全くいい加減なものでしたが… ただそんな中でもわりと出来栄えがよかった「スピットファイア」は捨てずにまだどこかに眠っているはずです。

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感想(5件)

母はそんな私を見て将来今でいう「ミリオタ」になるのではないか思ったそうですが、別に心配していたわけではないようです。祖父母は所謂「天皇陛下万歳」のタイプ(右翼という意味ではなく、明治生まれの日本人としては普通の一般市民ということ)で、母自身軍人というより軍服に対する憧れがあったみたいなんですよ。戦時中疎開先の厚木で特攻隊のお兄さん達に可愛がってもらったとか、戦後進駐してきた米軍人の白い軍服がカッコよかったなんて話をよくします。(白なら海軍でしょうね)色白で髪が赤かったせいか米兵にも可愛がられたそうです。まだ幼かったから怖い思いはしていないのでよかったとも言ってます。もし進路に迷ったら自衛隊はどう?と勧められたこともありました。
因みに厚木から特攻隊が出撃したという事実はないはずなので、母の記憶違いでなければ特攻を志願した少年兵がここで錬成されていたか、東北や北海道の飛行隊の中継地だった可能性はありますね。いずれにしろその後、鹿屋や大村辺りから出撃する予定だったのでしょう。

しかし疎開先が厚木というのはなんだか微妙ですよね。厚木基地があるところですよ。ここの302空は帝都防空の要だったわけですし… 厚木結構広いですから基地のすぐ近くではないにしろ、流れ弾くらいは飛んできそうですよね。高射砲を間近に見たとも言ってました。5月29日の横浜大空襲時にはすでに厚木にいましたが、横浜の空が真っ赤に染まったのを覚えているそうです。

祖父母を含め戦争を経験した親戚も今ではほとんどいません。祖母の弟3人はいずれも陸軍兵として出征し、いちばん上は南方で戦死、真ん中は中国戦線から帰還、下は満州で戦ってソ連の捕虜になり長く抑留された後に帰国できました。真ん中の弟は戦地での経験をかなり面白おかしく話してくれました。まるで漫画『のらくろ』のように感じたのですが、母によると「人に言えないような話も結構あるみたいだよ」とのことでした。
これに対して下の弟は抑留された影響があるのか私たちに話すことはなかったです。健在なうちにいろいろ聞き出しておくべきだったですね。戦争体験の証人は年々減少していくわけですから、せめて元気なうちに母の忘れていた記憶を呼び覚ませたらと思っています。若い世代に戦争の悲惨さを語り継いでいくためにも…

現代

Posted by hiro