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タッチダウン・トニー

2022年5月22日

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トニー・ドーセットとの出会いは彼がピッツバーグ大3年生時、つまり1975年シーズン終盤のおそらくペン州大戦でした。当時関西学院大ヘッドコーチだった「プロフェッサー・ケン」こと武田建先生が解説で、たしかTVKだったと思います。私は一発で虜になりました。その細やかなステップワークと鋭いカットバック、ディフェンスを切り裂くかのようなスピードを目の当たりにして、名実ともに当時NFL最高のRBだったO・J・シンプソンの後継者はこの男しかいない!と確信したのです。

翌76年シーズンのハイズマン賞最有力候補にライバルのリッキー・ベル(USC)とともに挙げられ、77年ドラフトの超目玉でもありました。ベルはブルタイプのパワーランナーで、ドーセットはO・J同様典型的なスキャットバック(対比語として使われていました)と持ち味が正反対で、評価も完全に二分されていました。月刊『タッチダウン』編集長の後藤完夫さんはわかりやすい人で、テレビ解説の折にも自身のUSCとピッツ(スティーラーズのほう)贔屓がコメントの端々から感じられるのですが、誌上では編集長の意向があってか?更にあからさまで真面目な優等生ベルを善玉、ドーセットを悪童扱いしてました。ドーセット派の私は「今に見てろよ」と切歯扼腕してました。

結局ピッツバーグ大は全米チャンピオンを勝ち取ってドーセット自身も通算ラッシングヤードのNCAA新記録を樹立、ハイズマン投票でも圧勝となり大いに溜飲を下げましたが、プロ入り後にも続くであろうライバル関係を考えるとまだまだ序の口という思いもありましたねえ。

77年ドラフト全体1位指名権を持っている、創立初年度を14戦全敗で終えたタンパベイ・バッカニアーズを率いるジョン・マッケイは元USCのヘッドコーチなので教え子ベルの指名が確実視され、ドーセットは次のシアトル・シーホークスと思われていたところ、トレードアップしたダラス・カウボーイズが大どんでん返しで獲得したのです。弱小チームに行くのを拒んだ結果だという噂もありましたが、とにかくこの段階ではっきり明暗が分かれた感があります。それでも『タッチダウン』誌はウサギとカメに例えてベルの逆襲に期待していましたね。

二人のライバル関係は、ドーセットが後年殿堂入りするのに対してベルは皮膚筋炎という筋力がなくなる難病に侵され29歳で亡くなるという後味の悪い形で終わります。ベル引退を知って「勝った!」と喜んだ私も、その僅か1年後の訃報には驚きました。

ドーセットは新人王とスーパーボウルリングを同時に獲得。つまり大学とプロをまたいで2年連続でチャンピオンに輝いたということで、他に例を知りません。まさに順風満帆、O・J・の後継者どころか史上最高のRBになるかと思いきや、公平に見てその座はウォルター・ペイトンに奪われていますし、カウボーイズのオールタイムベストの地位でもエミット・スミスの後塵を拝していると言わざるを得ません。しかしドーセットは彼らどころか未来永劫誰にも破られない記録を持っています。それは99ヤードTDランです。よく記録は破られるためにあると言われますが、フィールドの規格が変わらない限り並ばれることはあっても破られることはないわけで、レコードブックから彼の名前が消えることは事実上ありえない。やはり彼は勝者です。そして史上最高のRBだと思っています。

ひとつ気になることがあります。それはプロ入りはペイトンが2年早いにもかかわらず、実はドーセットと同い年なのです。もし二人が同期であったなら生涯獲得ヤードはもっと接近、あるいは逆転していた可能性すらあります。さあどうなっていたか…そんな想像も楽しくてしょうがない(笑)

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Posted by hiro