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運も実力のうち

エディー・チーヴァーのベストレースというと、初めて2位表彰台をゲットした1982年のデトロイトでしょう。9番グリッドからスタートして終始バトルを繰り広げながらの結果で、その将来性を大いにアピールしたレースでした。とりわけヘアピン直後の6コーナーでフェラーリのディディエ・ピローニを差したシーンには痺れました。立ち上がりから200m位しかない直角コーナーで、とても抜けそうにないところです。レースマナーが不評で抜かせないことが有名だったピローニが相手だったので、数周に渡って機を窺いつつも果たせずに意を決したアタックで、さすがのピローニも気おされてインを占めることができなかったですね。このヘアピンは翌年にはなくなっているので、空前絶後のパッシングシーンです。

このレースでは17番スタートのジョン・ワトソンが優勝しているのですが、順位を上げていく過程でブルーノ・ジャコメリと絡むシーンがありました。ジャコメリはそのままリタイアしましたが、当たり所が悪ければワトソンもどうなっていたかわかりません。ハンドリングの悪化でペースが上がらなかったかもしれず、結果的にチーヴァーが優勝していた可能性大です。結果的にはキャリアを通じて最も優勝に近づいたレースでしたが、彼の将来は前途洋々でチャンスはいくらでもあると思ってましたね。

最終戦のラスベガスでも表彰台をゲットし、このシーズンは予選決勝とも優勝経験豊富な先輩ジャック・ラフィーを凌駕して翌年のルノーワークスドライバーに抜擢されます。デビュー時から将来を嘱望され、ティレルでは新進気鋭のミケーレ・アルボレート、リジェではベテランのラフィーを打ち負かしてのルノー入りでしたから、アラン・プロスト恐れずに足りずという気概もあったでしょうね。当初はジョイントナンバーワン体制を希望したようです。北米での拡販を狙っていたルノーとしてもチーヴァーの獲得はメリットがあったのですが、前年までプロストとルネ・アルヌーの確執に苦しめられたこと、史上初のフランス人チャンピオン誕生に傾注したいチームとしては受けられるものではなかった。しかし速さでプロストを上回れば話は別ですし、私はその可能性に期待していました。

結果は完敗でした。最終戦南アフリカGPの解説をしていた間瀬明さんはチーヴァーについて
「技術的にはたいへん高い人だと思いますよ。速いドライバーですし。ただチームとして考えた場合プロストをサポートする力がなかった。これにはプロストが非常に我儘な人である。で、チーヴァーも結構我儘ですから、そんなことでチーヴァーが調子が悪い状態になってしまった」
と話していました。ターボエンジンでなければ勝てなくなる時代の到来で、ルノーへの移籍自体は正解だったと思いますが、結局プロストの壁を崩せずに引導を渡されてしまったというところですね。彼がトップレベルのマシンをドライブしたのはこれが最初で最後、以降その機会は訪れなかったのです。

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Posted by hiro