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カエサルとポンペイウス

紀元前48年8月9日、ファルサルスの戦いでユリウス・カエサルがグナエウス・ポンペイウスを破りました。これによりカエサルの覇権が確立し、共和政ローマが帝政へと向かう端緒となった重要な戦いです。

一般的にポンペイウスはカエサルに抗う守旧派の頭目として扱われ、映像作品でも引き立て役に過ぎない存在として登場しますが、実際のところ軍事指揮官としての才覚はカエサルと同等かそれ以上と考えます。

ガリア戦争は当初から非常に困難なものと予想され、8年を要したもののアルプス以北のガリアを征服を成し遂げたカエサルの名声は高まって元老院に危険視されることになり、そんな元老院派の拠り所となったのがカエサル以上の将軍と目されていたポンペイウスだったわけです。

カエサルのガリア征服は偉業ですが自身が危地に陥ることもあり、苦難の連続でした。ポンペイウスは15年余りの間にヒスパニア、オリエントと小アジアを征服するのみならず地中海の海賊征討も果たして三度の凱旋式を挙行しています。その勝利は全く危なげがないもので、彼が戦術・戦略両面で卓越した手腕の持ち主であることは疑いないです。元老院派が彼さえ担げば大丈夫と思ったのも当然と言えます。

カエサルがルビコン川を渡って対決が不可避になると、ポンペイウスはギリシアに逃れて体勢を立て直すことを選択します。ギリシアに拠れば後背地となるエジプトや小アジアもポンペイウスの本拠地ですから兵站に憂いがありません。彼が現場を離れて久しいので共に戦った古参兵は少なく、ガリアで激戦を勝ち抜いたカエサル麾下の精鋭に比べて練度も経験も不足していることは明らかでしたから、この地で軍団の練度を上げつつ兵力の拡充を図るのは至極当然と思います。

もともと兵力で劣るカエサルは、時間の経過が彼我の差をさらに広げると考えたでしょう。ポンペイウスの勢力圏ヒスパニアを制圧して後顧の憂いを断つと短期決戦を目論みますが、二人の天才が初めて戦場で相まみえたデュッラキウムの戦いでカエサルは完敗します。速戦即決を目指して焦ったのでしょうか。全く彼らしくない戦ぶりでテッサリアに撤退を余儀なくされます。

損して得取れとはちょっと違いますが、結果的にこの敗北がカエサル勝利の呼び水になったようです。勝ちに驕った元老院派諸将が長期持久戦を志向していたポンペイウスを突き上げ、追撃して決着をつけることを迫ったからです。ポンペイウスは抗しきれずに決戦に及んで返り討ちに遭う結果になりました。

こうしてみると、この時点に限って言えばポンペイウスの軍団は俄仕立てに過ぎず、しかも指揮系統や意思統一に不備があったように思えます。元老院派にとってのポンペイウスはカエサルに対抗しうる唯一無二の存在でしたが、利害関係の異なる彼らは「カエサル憎し」の一点のみで繋がった烏合の衆であり、そんな彼らを強烈な自我でまとめるカリスマを、この頃のポンペイウスは既に失っていたのではないかと… 担ぐにはちょっと重い神輿程度の存在に思えるほど、かつての気概はなかったのかもしれません。

とはいえカエサルはポンペイウスより6つ若いだけですから50歳を越えています。年齢の問題ではないですね。カエサルの軍団は彼個人に絶対の忠誠を誓う兵士の集まりであり、このことがローマ兵最大の長所である粘り強さという点で、一枚岩とは言えないポンペイウス軍を凌駕する結果になったと思います。本来なら任期が終われば返還しなければならない軍団を何があっても手放さなかったカエサルの統率力と、兵士達の揺るがない忠誠心が結束をもたらして難敵を撃破したしたということでしょう。

そのカエサルを一度は完膚なきほど叩いたポンペイウスも大したものですが、やはりカエサルに比べると政治的センスに欠けていたと思います。もしファルサルスで勝ちローマの第一人者になっていたとしても、おそらく彼の政策はガイウス・マリウスやルキウス・コルネリウス・スッラを踏襲するものに過ぎず、内乱の一世紀はまだまだ続いたのではないでしょうか。 つまり共和政を維持するには大きくなりすぎたローマをどうしていくべきかについて明確なビジョンがなく、旧態依然のシステムを変えるつもりはなかったと… 彼の下に参じた諸将も同じでしょう。カエサルは抜本的な変革が必須と考え、その熱意が兵士や民衆に伝播して人気を高めたのではないかと思うのです。冷たい言い方をすれば、ポンペイウスはその歴史的役割を終えていた人物であり、敗北は不可避だったと考えます。

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Posted by hiro