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ヘッダー

夢の二遊間と「バズーカ」

ボルティモア・オリオールズの一員として来日したカル・リプケンは、2年後の1986年MLB選抜のメンバーとして再度来日しました。当初予定されていたドワイト・グッデン(メッツ)の来日こそ実現しませんでしたが、それでもかなりの顔ぶれでしたから迷うことなく観戦を決めました。この時も横浜スタジアムです。

私は試合開始よりも、かなり早く球場入りしました。というのは打撃か守備どちらかでいいからMLB選抜の練習を見たいと思ったのです。試合前のスケジュールなど分かる由もなかったですからね。そして思惑通り守備練習を見ることができました。

これがカッコイイのなんの、内野でボールを回しているだけでも絵になるんですよ。手首しか使っていないスナップスローで糸を引くような送球が寸分違わず胸元へ吸い込まれて行く。ノックを受けていても動きに全く澱みがなく、難しそうなプレーをいとも簡単にこなしている感じです。特に印象的なのは二遊間の併殺プレーですね。これがうっとり見惚れてしまうほど素晴らしい。ため息が出るほどでした。何しろ遊撃手にリプケンとオジー・スミス(カーディナルス)、二塁手はライン・サンドバーグ(カブス)とフランク・ホワイト(ロイヤルズ)ですよ。前3者は殿堂入り、ホワイトもゴールドグラブ8回の名手です。4人合わせるとゴールドグラブは32回! こんな二遊間が日本で見られるなんて夢のようですし、それを目の当たりにしている自分は何て幸せなんだと… その充足感は彼らが引退した後に薄れるどころか、さらに増幅されたと感じます。アメリカのオールスターゲームはチケット入手も困難ですから、これほど豪華な二遊間を然も日本で見ることができたのですからね。

もう一つ強く印象に残っていることがあります。私の席はバックネット裏三塁ダグアウト近くのやや高い位置だったのですが、おもむろに捕手のトニー・ペーニャ(パイレーツ)と外野手のジェシー・バーフィールド(ブルージェイズ)がキャッチボールを始めたのです。ペーニャは本塁付近でバーフィールドは最初三塁ベースやや後方にいました。キャッチボールをしながらバーフィールドはどんどん後ろに下がって行くのです。いったいどこまで行くのか観客だけでなくダグアウトにいた日本選手も注目したでしょう。左翼手定位置付近まで下がっても彼はワンステップのゆったり大きなモーションで山なりのボールをペーニャの胸元に苦も無く投げ込むだけです。このあたりからペーニャが何か大声を発し始めたのですが、想像するに彼はそろそろ目いっぱいだったのではないかと思います。バーフィールドにはまだ余裕が感じられました。程なく座り投げで二塁走者を牽制で差し、一躍日本でその名を轟かせるペーニャと当時MLB最高の強肩外野手だったバーフィールドのキャッチボール。まるで日本選手へのデモンストレーションのように思えるほど見せつけられました。

その後日米野球のMLB選抜チームは年を経るにつれてメンバーの格が落ちていったというのが率直な感想ですが、この86年の顔ぶれはまさにオールスターに相応しいものでした。殿堂入り選手は上記3人に加えて投手でジャック・モリス(タイガース)、野手でトニー・グウィン(パドレス)と計5人です。試合開始以前に彼我の埋め難い差を実感することになった経験はかけがえのないものだったと思います。

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Posted by hiro