G-FTB5DFYZ60

ヘッダー

最高の機甲部隊指揮官

では、最も優秀な機甲戦のエキスパートは誰か。エルヴィン・ロンメルか?ジョージ・パットンか? 私が推すのはいずれでもありません。


 1 ハインツ・グデリアン ドイツ陸軍上級大将 第19装甲軍団、第2装甲集団司令官

 2 ジョージ・パットン アメリカ陸軍中将 第2軍団、第7軍、第3軍司令官

 3 エルヴィン・ロンメル ドイツ陸軍元帥 第7装甲師団長、ドイツ・アフリカ軍団長

 4 バーナード・モンゴメリー イギリス陸軍中将 第8軍司令官

 5 ヘルマン・ホト ドイツ陸軍上級大将 第15装甲軍団、第3装甲集団、第17軍、第4装甲軍
                     司令官

 6 アリエル・シャロン イスラエル陸軍少将 第38機甲師団、第143予備役機甲師団長

 7 エヴァルト・フォン・クライスト ドイツ陸軍元帥 クライスト装甲集団、第1装甲集団、
                           A軍集団司令官

 8 エーリッヒ・フォン・マンシュタイン ドイツ陸軍元帥 第56装甲軍団、第11軍、ドン軍
                             集団司令官

 9 ニコライ・ヴァトゥーチン ソ連陸軍上級大将 ヴォロネジ戦線司令官

10 イスラエル・タル イスラエル陸軍少将 機甲軍総監


交通兵監部所属時代に装甲部隊の有用性に気付いたグデリアンは、その特長を最大限生かすための戦術研究を開始、航空支援のもと集中運用された戦車を、その機動力を駆使して敵の脆弱点を突破し中枢に打撃を与える或いは包囲するという所謂「電撃戦」の戦闘教義を確立しました。彼以前にも装甲部隊による機甲戦を重視して推進を図った人物は各国に少なからずいました。イギリスのJ・C・フラー、フランスのシャルル・ドゴール、アメリカのアドナ・チャッフィーなどです。しかし彼らの努力は、戦車は歩兵の支援火力にすぎないという軍上層部の考えを変えるには至らなかったのです。グデリアンの凄いところは、アドルフ・ヒトラーに働きかけて装甲師団の創設にこぎつけたのみならず、最前線で機甲部隊の指揮を執って目覚ましい戦果を上げ、自らその戦闘教義の正しさを証明して見せたことにあります。特にフランス侵攻における「韋駄天」ぶりは、ロンメルに勝るとも劣らないものです。

非常に攻撃精神旺盛で積極果敢な用兵を持ち味とする顔ぶれが揃う中、モンゴメリーは異彩を放っています。ノルマンディー上陸後、第21軍集団司令官としての慎重すぎる作戦指揮が批判されることの多いモンゴメリーですが、これは北アフリカで第8軍を率いていたころと変わったわけではありません。彼以前の英軍司令官たちは、歩兵を支援するために戦車を分散配置しては各個撃破されるという愚を繰り返していました。陣地戦のエキスパートだった彼が先任者たちの轍を踏まずに戦車部隊を集中運用し、歩兵及び砲兵との緊密な連携によってロンメルの攻勢を跳ね返したのは見事です。また反攻に際しても、彼我の戦力差が圧倒的に開くまでは決して攻勢に出ませんでした。

マーケット・ガーデン作戦の失敗は彼が功にはやったとの見方がありますが、大きな要因は敵情把握の不徹底が多くの誤算を呼んだことにあるでしょう。つまり彼としてはイチかバチかというリスクを覚悟した作戦とは考えていなかったであろうと。また、第30軍団を率いたブライアン・ホロックス中将は非常に有能で、彼が最も信頼していた指揮官です。作戦の成功にさほど困難を感じていなかったのではないでしょうか。ただホロックスは不測の事態の連続に直面して遅延し、成功の目算が立たなくなった作戦に固執して部隊の損害をいたずらに増やすことを避けたわけです。もしアルンヘムに向かっていたのがパットンだったら、リスクを顧みずに突進して作戦は成功していたかもしれませんね。

もう一つ顔ぶれを見て思うのは、分相応ということです。最も守備的だったモンゴメリーは戦後欧州連合軍副最高司令官になりましたが、彼以外には広域を管轄する上級司令部の長になった人物はいません(シャロンはイスラエル首相に登り詰めましたが、軍歴は少将で終えています)やはり求められる資質が違うということでしょう。

戦車に注目せよ [ ハインツ・グデーリアン ]価格:6,050円
(2023/2/16 23:24時点)
感想(0件)

近代

Posted by hiro