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「雨のナカジマ」

2月23日は中嶋悟さんの誕生日です。日本人初のフルタイムF1ドライバーとして、日本におけるF1人気を定着させた立役者ですね。期待と不安が入り混じった複雑な心境で、その走りを見つめていたものです。世界で30人に満たないスピードの申し子たちが競う最高峰の舞台の壁は非常に厚く、結果的に表彰台には登れませんでした。

関係者の証言からうかがえるのは、テストドライバーとしての高い能力とマシンを労わる優しいドライビング、そして非常に繊細なテクニックを持っていたことです。雨のレースで非常に速く、F1参戦前から日本では「雨のナカジマ」と呼ばれていましたが、1989年のオーストラリアGP以降は海外でも定着するほどでした。翌年ティレルでチームメイトとなったジャン・アレジには速さで圧倒されて予選では全敗でしたが、雨のセッションだけはアレジより速かったと記憶しています。アレジは後年雨に非常に強いとされたドライバーですからね。よほどのことです。

一方で指摘されるのは体力不足だったことです。本人も雨だと滑るかわりにハンドルが軽くなって楽という趣旨の発言をしています。裏を返せば、ドライではハイパワーのマシンを御するに必要な腕力を決定的に欠いていたということになります。キャリアを通じて予選ではチームメイトに対して市街地などのテクニカルなコースでは歯が立たずとも、高速コースでは肉迫あるいは上回ることすらあった事実が証明しています。直線が多いほど休めるわけです。

こういったことから、もっと若くして参戦していたら結果は違っていたのではないかという見解もありますが、私は大同小異だったと思いますね。仮に5年早くデビューしていたとするならば、ターボエンジンは黎明期で熟成が進んでおらず、ピーキーで非常に扱いにくい代物ですし、シャシーもハイパワーを受け止める剛性が不足していた時代です。パワーの出方が唐突なため、直線でさえ暴れるマシンを捻じ伏せなければならないドライバーの苦労は、ホンダエンジン全盛期よりも大きかったと想像できます。つまり加齢による衰えがなかったとしても、そんなじゃじゃ馬を手なずけるに必要な体の強さを持ち合わせていなかったのではないかと思うのです。

全日本F2時代には、後にF1で競うことになるティエリー・ブーツェンやステファン・ヨハンソンを寄せ付けなかったのは事実ですが、F2とF1では自在に操るために必要なスキルが全く違っとということなのでしょう。それでも雨のレースでは、光る走りを少なからず見せてくれたのではないかと思います。

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Posted by hiro