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最高の零戦使いは?

太平洋戦争序盤の空を支配した零式艦上戦闘機の活躍は、機体の性能以上にパイロットの技量によるところが大きかったでしょう。当時世界最高の練度を誇った日本海軍のパイロットたちが、その性能を十二分に引き出して戦ったからこそと思います。零戦の優位性が完全に失われた戦争終盤においても、一部の熟練パイロットは敵新鋭機に対して互角以上に渡り合っていますしね。今回はそんな零戦使いをランキングしてみました。

 1 岩井勉中尉     「ゼロファイターゴッド」撃墜22機
 2 赤松貞明中尉     撃墜27機
 3 西沢広義飛曹長   「台南空三羽烏」「ラバウルの魔王」撃墜36機
 4 岩本徹三少尉    「零戦虎徹」撃墜80機
 5 太田敏夫一飛曹   「台南空三羽烏」撃墜34機
 6 杉田庄一上飛曹   「闘魂の塊」撃墜70機近く
 7 荻谷信男上飛曹    撃墜24機
 8 坂井三郎少尉    「台南空三羽烏」「大空のサムライ」撃墜28機
 9 笹井醇一中尉    「軍鶏」「ラバウルの貴公子」撃墜27機
10 奥村武雄上飛曹    撃墜50機近く


岩井中尉は零戦の初空戦に参加した古参ですが、太平洋戦争勃発時は内地におり前線に復帰したのは1943年(昭和18年)に入ってから、つまり零戦の優位が失われ始めたころです。にもかかわらず終戦まで1発も被弾しなかったというのは驚きです。その技量が卓越していたことの証明でしょう。

西沢飛曹長についてはスコアを87機とする説もありますが、42年10月に撃墜30機を全軍に布告されて程なく内地に帰還し、ラバウルに再進出したのは43年5月のことです。そして9月に第二五三航空隊に転属した折100機撃墜記念の感状を授与されています。僅か三か月強で70機撃墜とは考えにくいですから、100機というのは協同撃墜を含んだ数字だったということでしょう。となると36機と考えるのが自然と思われます。
それにしても輸送機に便乗して移動中に撃墜されてしまうとは、さぞかし無念だったでしょうね。生き残ることも強さの証とはいえ、彼や離陸中に撃墜された杉田上飛曹は不運としか言いようがありません。成す術がない状況では歴戦の強者も新米パイロットと変わりませんからね。この場合は運も実力のうちという言葉は当たらないでしょう。

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感想(1件)

近代

Posted by hiro