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報道の自由と倫理

1986年4月8日、岡田有希子さんが飛び降り自殺しました。アイドル歌手の自殺は社会に大きな衝撃を与えましたが、芸能人の自殺は稀にとはいえ過去にもあり、個人的には岡田さんは数多いるアイドルの一人としか認識していなかったので、感傷的になることもなかったのです。にもかかわらずこの事件を忘れられないものにしたのは、凄惨な現場が無修正で報道されたことに他なりません。

特にこの時代の写真週刊誌はかなり過激で、事件や事故の現場を白日の下に晒すことで売り上げを競っていました。有名なところでは日本航空123便墜落事故があげられますが、私の印象に強く残っているのはインドのラジーヴ・ガンディー元首相暗殺現場です。顔面を吹き飛ばされた元首相と、バラバラになった自爆テロ実行犯の頭部も掲載されていたと記憶しています。これはほんの氷山の一角であり、毎号のようにこういった凄惨極まる写真を報道の自由の名のもと競うように掲載していたのです。またこのころは漫画雑誌においても過激な暴力描写が蔓延っていました。時代の移ろいとともにその表現は抑制されたものになって行きますが、これはやはり青少年への悪影響を懸念してのものでしょう。

しかし、それが犯罪そのものを抑制するかというと否です。人間にエゴがある限り暴力が根絶されるとは思えません。極論を言えば戦争ですら19世紀までは必要悪だったかもしれません。平和な日本でも猟奇殺人は頻繫に起こります。あるいは平和だからこそなのか。凄惨な場面を好むというのは個人の嗜好の問題ですから外部で抑制できるものではなく、おそらく普遍的に存在するものでしょう。

怖いもの見たさという意識は程度の差はあれ誰でも持っているはずです。しかし自ら進んで凄惨な状況を作り出そうとするのは極端なサディズムであり異常です。別々の自我を持った人間なのですから、国家間の争いならともかく個人レベルで暴力が根絶できるとは思えません。

それでも努力は続けるべきでしょう。ウクライナでの戦争を見るにつけ、ふと思うことがあります。それはかつてのように現場の悲惨さを修正せずに報道してみたらどうだろうと。平和に慣れたバブル期の日本人と、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状況にある今の日本人では受け取り方が全く違うのではないかという気がします。もちろんプライバシーや人権・倫理的問題があるので難しいとは思いますし、それが犯罪抑止につながるのか助長するのかはっきりするまでにある程度のスパンが必要です。やってみる価値はあるような気もしますが自信はありません。時計の針を戻すようなことをするべきではないのかもしれず、悩ましいところです。

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現代

Posted by hiro