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リティは幸運!

4月16日はピエール・リトバルスキーの誕生日です。元西ドイツ代表で1990年イタリアW杯優勝メンバーである彼は鳴り物入りでジェフユナイテッド市原に入団、そのテクニックと気さくな人柄でファンを魅了し日本でも「リティ」の愛称で親しまれました。

彼のデビューは世界的にも注目を集め、西ドイツに天才ドリブラー現ると日本のサッカー雑誌にも取り上げられていました。小柄ながら変幻自在のドリブルで守備を翻弄するプレースタイルはストライカーというよりはチャンスメーカーとして持ち味を発揮、多くのアシストを記録しました。特に当時世界最高のストライカーだったカール=ハインツ・ルンメニゲとのコンビネーションは素晴らしく、彼に数々の得点をもたらしましたが、最も印象的なのは82年スペインW杯準決勝対フランス戦でのものでしょう。二人で壁パスをダイレクトに交換しながら守備陣を突破してルンメニゲのアクロバティックな技ありゴールに繋げました。この連続した壁パスの交換による突破は私が最も好きなプレーであり、当時の洗練された西ドイツ代表のサッカーを象徴するものだったと思います。それがW杯史上初のPK戦にもつれ込むという歴史的激闘で見られたことに歓喜したものです。

日本でプレーしていたころはフリーキックのスペシャリストとも謳われていましたが、これには違和感を覚えていました。少なくとも代表チームで彼がフリーキックを蹴っているのを見た記憶がほとんどないのです。代表デビュー時にはすでにパウル・ブライトナーやベルント・シュスター、ローター・マテウスといった名手がいましたし、その後アンドレアス・ブレーメも代表入りしています。ルンメニゲでさえフリーキックはほとんど蹴らなかったくらいですからね。1.FCケルンにもシュスターやハインツ・フローエがおり、さらにはライナー・ボンホフも加わっています。フリーキックを担うようになったのは彼らがチームを離脱してからと解釈できます。当時の西ドイツには彼を上回る名手が少なからず存在した一方、ジェフには彼よりフリーキックを上手に蹴られる選手が皆無だったということでしょうね。

「三度目の正直」でW杯を勝ち取ったことを思うと、やはり巡り合わせの良し悪しを考えてしまいます。なぜなら私が大好きな「ミスター・ヨーロッパ」ルンメニゲには「三度目の正直」がなかったからです。せめて一度でも優勝できていたら世界の帝王に登り詰め、後年ディエゴ・マラドーナ以上の評価を得ていたかもしれません。痛恨の極みであり、また類稀な実力や才能ですら抗えない運命的なものを感じます。

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Posted by hiro