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桶狭間後の今川義元 その29

清洲城に入った武田信玄の容体は落ち着き、諏訪勝頼に守勢に転じ領国を富まして捲土重来を期すよう命じます。そして最早自身での天下平定は夢と化したと悟り、家臣の懇願を受け入れ甲斐に帰国することを決めます。

信貴山城の戦い
信玄に続いて武田水軍も撤退を始めたことで変事を確信した小早川隆景は、徳川家康の出陣によって別所長治の南下が阻止されたと見越して大和攻略に取り掛かります。武田に従属していた筒井順慶らの大和国衆もこれに呼応して信貴山城に迫ります。籠城の構えを見せる松永久秀は絶体絶命の危地でしたが、突然現れた畠山高政勢1万が背後から強襲すると大和勢は瞬く間に瓦解、勢いづいた高政が小早川勢に向かうと久秀も出撃して激戦になります。しかし予想外の展開に隆景は防戦一方となり、支えきれずに退却します。この勝利で一時的に窮地を脱した久秀ですが、大和国衆の離反など信玄撤退の影響は大きく情勢は厳しいものになっていきます。

信玄死去
勝頼に後事を託して帰国の途に就いた信玄ですが、疲弊しきったその体は甲斐への長旅にとても耐え得るものではなくなっていました。尾張から出るころには容体が急速に悪化、ついに伊那でこと切れます。今際の際で信玄は、その死を秘匿するよう命じますが彼が再起不能ではないかとという噂はすでに広まっており、諸国の武田方国衆の動揺は激しいものがありました。上洛途上で獲得した東海地方の領国化は着々と進んではいたものの日は浅く、また信玄の代で集権化を強めたとはいえ有力国衆の連合体という中世的枠組みを出ない武田家の統制力は北条のような近世的領国支配と比べて劣っており、さらには勝頼の出自と後継者としての正当性について家中のコンセンサスが十分とれていない問題もあって勝頼は難しい舵取りを迫られることになります。

将軍義輝の悩み
信玄の脅威が去ったことで幕府方はひとまず安堵します。上杉輝虎は主力を残して越後に帰国、出家して謙信と名乗ります。将軍義輝も京に落ち着きますが、彼には大きな悩みがありました。未だ男子がないことです。40前ですから、これから子作りに励めば男子が生まれる可能性はありますが、自分の寿命がわからない以上幼児を将軍に立てれば天下争乱の原因になりかねないことは歴史が証明しています。とはいえ反旗を翻した弟義秋を許す気は毛頭なく、他の選択肢を考えておかねばならないところです。まずは伊豆に幽閉されている今川義元を外交交渉で返還させるという手がありますが、後継者が氏真では心もとなく気が進みません。今川の本家に当たる吉良氏は武田に従属していますし、足利一門で天下を束ねる実力を持った人物は皆無です。戦乱の世を収めるという大義が第一ならば、従来の慣例に拘らない英断が必要かもしれません。
謙信は家格の低さを理由に管領就任を断りました。既成の秩序を重んじる謙信を口説くには彼を養子にするという方策がありますが、謙信は義輝より年上であり実子もありません。そこで浮かんだのが家康でした。若年から長らく将軍家に忠義を尽くし、政治・外交・軍事に並々ならぬ才能を発揮してきた家康ならば後継者足り得ると感じていたのです。ただ現状ではあまりにも家格が低く、諸侯を束ねることはできないでしょう。そこで義輝は家康に軍事面での大きな権限を与えて諸国平定に邁進させ、有無を言わさぬ実力を蓄えさせるという選択をするのです。その手始めが尾張奪還でした。これは直接家康の故地三河に通ずるものですから、家康が奮起することは間違いないという目算もあったのです。

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戦国時代

Posted by hiro