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桶狭間後の今川義元 その41

土佐に逃れていた松永久秀は、文化人としての教養の高さと京の事情に明るいことから長宗我部元親の相談役になっていました。もはや老齢の彼が陣頭に立つことはありませんでしたが、甥内藤如安が部将として活躍し三好氏を阿波から駆逐、毛利の勢力と境を接するに至ります。久秀としては毛利の庇護下にある足利義昭を通じて毛利を反幕府に転じさせようと目論んでいました。

義昭の野心
再度仏門に入ることなど思いもよらない義昭は、自らを将軍職に就けるために毛利輝元を動かそうと策動していましたが、表立って幕府と対立したくない輝元は馬耳東風でした。そこで義昭は独自に各地の勢力に対する働きかけを始めていました。もちろん兄義輝が健在である以上正統性は皆無ですが、幕府に従う内実が自身の勢力拡大に利するからこそであり、利害関係の複雑な諸勢力間に楔を打ち込めば義昭擁立に動くものが現れると考えたのです。そこへやって来た久秀からの誘いは渡りに船でした。義昭は土佐へ渡ることも考えましたが、長宗我部の外交僧非有は先ず毛利を反幕府に引き込むことが肝要と説きます。四国統一を目指す元親にとって残すは毛利が実効支配する阿波・讃岐のみであり、力でこれを追い出すことは可能でしょう。しかし心配なのは依然として摂津を毛利が押さえていることです。幕府が武田を屈服させれば大挙して四国上陸、同時に毛利も瀬戸内を渡って反攻をかけるとなると支えきれません。毛利が幕府側を離脱すれば摂津からの渡海は不可能です。つまり毛利を矢面に立たせることで幕府軍の侵攻を防ぎ、四国統一の障害をなくそうという魂胆だったのです。

近畿の情勢
幕府に反旗を翻していた別所長治・山名祐豊・荒木村重は、武田の撤退と宇喜多が毛利と結んだことで牙を抜かれ、対武田に注力する幕府が大きな動きを見せないことで畿内は落ち着いていました。各家中でも親幕府と反幕府の間で揺れ始め、積極的に外へ向かうことができずにいたのです。そんな中での義昭の策動はさらなる波紋を巻き起こし、畿内から中国にかけてはさらに玉虫色の状態になっていきます。

毛利家中の齟齬
活発化する義昭の活動は毛利の中枢にも影響を及ぼします。毛利元就の次男吉川元春は元就の遺訓は「天下を望んではならぬ」であり、幕府と協調して西国の制圧を目指すべきである。義昭の存在は幕府の信頼を損なう火種にしかならず、すぐさま放逐すべきという意見でした。これに対して三男小早川隆景は幕府に従うのを是としながらも、未だ男子のない将軍義輝にもしものことがあれば血筋の点で義昭は異論なき正統な後継者であり、強力なカードとして保持すべきと考えていました。義昭が将軍になれば幕政を牛耳ることができると。当主輝元の考えはさらに踏み込んでおり、情勢如何では義昭を擁しての上洛を視野に入れていたのです。幼少期に父隆元を失って元就に育てられた輝元にとって、元就は尊敬する偉大な祖父でした。その元就さえ思いもよらなかった天下を目指して祖父を超えたいという誘惑に駆られていました。ここまで元春・隆景という二人の叔父の補佐で勢力を拡大しながらも、時として彼らに頭を抑えられて自主性を存分に発揮できないことへの苛立ちが、輝元を突き動かしていたのです。

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戦国時代

Posted by hiro