G-FTB5DFYZ60

ヘッダー

ブラックプリンス

1376年6月8日、イングランドのエドワード黒太子が父王エドワード3世に先立って病死しました。百年戦争初期におけるイングランド快進撃の立役者である黒太子は同時代で最も優れた軍事指導者であり、その個人的武勇と前線指揮能力は獅子心王リチャード1世に比肩し得るものだったと思います。また戦場では無類の強さを発揮して恐れられたものの、政治的センスには疑問符が付く点も共通します。

二人とも中世騎士の鑑と評されますが、獅子心王が在位中外征に明け暮れて国内をほとんど顧みることがなかったにもかかわらず、民衆からも英雄視され人気が高かったことが「ロビン・フッド伝説」などからわかるのに対し、黒太子にはそういった伝承が皆無に等しいです。これは黒太子が畏怖されはしても決して慕われる存在ではなかったことを示唆していると感じるのです。

そもそも黒太子という異名の由来には、彼が全身黒い鎧を常用していたから、その強さと残忍性が敵に恐れられたからという二説があります。どちらも事実と思われますが、私は後者の側面が強いと考えています。黒の染料は存在せず、当時最も高貴な色であった紫を限りなく濃くして黒に見せていたことから紫に準ずる色とされていたことから、他にも黒ずくめの甲冑を纏った騎士はいたでしょう。黒は強さの象徴と言えるいっぽうで、闇や悪といった忌むべきものにも通じます。黒太子の場合、自身と同等の騎士階級には礼をもって接したようですが、一般市民を虐殺することには躊躇がなかったようです。こういった残虐性はフランスのみならずイングランド国内でも広く知られて庶民から恐れられることはあっても敬愛の対象には成り得なかったのではないでしょうか。また豪勢な宮廷生活を好んで財政を逼迫させ、補填のため重税を課してアキテーヌの人心を失ったことを考えると、派手好きで戦場をこよなく愛する血に飢えた騎士という側面が浮かび上がってきます。このあたりが獅子心王と決定的に異なるところでしょう。

病がちになり陣頭に立つことが覚束なくなってからも、彼がアキテーヌにいる間はフランス側の反撃は思うに任せませんでした。黒太子の戦績は見事というほかなく、敗れたのは第一次カスティーリャ継承戦争における「イングランド人の山の戦い」で一時的に敗走を余儀なくされたのが唯一で、最終的には態勢を立て直して完勝しています。軍事的天才だったのは間違いないでしょう。

そんな黒太子が父王に先立つことなくエドワード4世として即位していたら、百年戦争はどうなっていたでしょう? おそらく大勢は変わらなかったでしょうね。息子リチャード2世の幼少での即位は避けられスムーズに親政が開始されたかもしれませんが、野心家の叔父たちを上手く制御できたか微妙です。リチャード自身は戦争終結に前向きだったとされますが、形勢不利な状況での休戦を良しとしない彼らとの軋轢は避けられなかったでしょう。しかし戦費調達のため重税を課された国内の不満は大きく、その声を代弁する議会を味方にできれば求心力を高めて長く君臨できたかもしれません。そうなれば百年戦争は五十年戦争で終わっていた可能性はありますが、リチャードにそれだけの政治力があったかは疑問であり、虚栄心の強い彼が権威付けのため再度フランスに向かうことも考えられます。不満を外へ向かわせるのは権力者の常套手段ですからね。

結局のところ、リチャードがなんとか国内を掌握して廃位されることがなくプランタジネット朝が続いたかどうかが鍵でしょう。その場合ランカスター朝の成立と、それに続くイングランド史上最高の軍事的天才ヘンリー5世の戴冠はなかったことになります。フランスを併合寸前にまで追い詰めたのはヘンリーだからこそであり、リチャードとその後継者に成せる業ではないでしょう。とすると英仏の禍根は史実より幾分和らいだものになり、その後の歴史を変えていたかもしれません。最終的に百年戦争がフランスの勝利に終わったことを考えるとヘンリーの登場は蛇足と言えなくもなく、いたずらに戦争を長引かせる結果を招いたことになります。このあたりは歴史の皮肉であり面白さでもあります。

【極美品/品質保証書付】 アンティークコイン コイン 金貨 銀貨 [送料無料] 1975年 シルバー ブラック プリンス & ブリティッシュ ロングボウメン ウィン シールド ピースメダル用- show original title価格:68000円
(2024/6/7 14:08時点)
感想(0件)

中世

Posted by hiro