ナショナルリーグ最後の30勝投手
7月17日はディジー・ディーンの命日です。1930年代に一世を風靡し「ガスハウス・ギャング」と呼ばれたセントルイス・カーディナルスの若きエースだったディーンは、ナショナルリーグ最後の30勝投手としても知られています。彼についてはレオ・ドローチャーの自伝『お人好しで野球に勝てるか』に詳しいです。スモールボールの申し子と言える選手兼任監督フランキー・フリッシュのもと闘争心剥き出しのプレーと、ルール違反ギリギリのずる賢い野球がモットーだったチームの中でも札付きの問題児だったドローチャーでさえ一目置くほどの向こうっ気の強さとビッグマウスぶりが随所に記されていました。監督に対しても面と向かって「オッサン」呼ばわりする傲岸不遜さ、当時球界一の腕っ節を誇る喧嘩自慢ジョー・メドウィックにも全く臆せず立ち向かったエピソードなど枚挙に暇がありません。有名なのは34年シーズン開幕前、この年デビューする弟ポールについて聞かれ「俺より良い投手」と持ち上げ「二人で45勝する」とうそぶいて嘲笑を買うものの、終わってみれば兄弟の勝ち星は49! ワールドシリーズ制覇の原動力となり、ディジー自身は30勝を上げてMVP獲得というおまけまでついたのです。この年が「ガスハウス・ギャング」及び彼自身最も光り輝いたシーズンだったでしょう。
もちろん実際に投球を見たことはないですが、ドローチャーの行間から感じたイメージはバットをへし折るような剛球というものでした。4年連続で最多奪三振のタイトルも獲っていますが、その間の奪三振率は6前後にすぎません。近年に比べるとずいぶん劣るように感じますが、当時アメリカンリーグを代表する速球左腕レフティー・グローヴでもそのくらいですし、不滅と言われた通算3508奪三振を記録したウォルター・ジョンソンの生涯奪三振率は5.3です。奪三振率が10を超えるようになるのは、極端な投高打低時代に入る60年代以降のことですから、3イニングに2個というのが奪三振マシーンと評価される基準だったと推察できます。
彼の全盛期は短く37年のオールスターゲームで痛烈なライナーを足の親指に受けて骨折、その後も痛みを庇いながら投げ続けたことで投球フォームを崩したあげく右腕を故障して剛速球を失い31歳で引退を余儀なくされます。実働10年ほどの彼が、それでも記者投票で殿堂入りを果たしているのは、コンシステンシーを非常に重要視するアメリカでは異例のことであり、それだけ全盛期の彼が突出した存在だったことを物語っています。これは30歳で引退したサンディー・コーファックスと並ぶレアケースでしょう。
それにしてもフリッシュやドローチャー、メドウィック、ペッパー・マーティン、、ビル・デランシーといった暴れん坊たちが縦横無尽に駆け回る「ガスハウス・ギャング」見てみたかったなあ。現在は選手生命を慮って激しいコンタクトが制限される時代ですから、彼らのような「古き良き時代」の野球が復活することはあり得ないでしょうね。武骨で荒っぽいがどこか憎めない愛すべきキャラクターや、奇人変人のデパートみたいな昔のMLBは本当に面白いです。
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