海道一から天下一へ その34
真田昌幸は依然として川中島の武田信豊を主君として立ててはいたものの、事実上独立勢力と見做されていました。この状況に不満を抱えていた信豊は北条の誘いに乗ることになります。
信豊、北信に檄
北条氏邦の思惑は信豊を煽って北信に騒乱を起こさせ、北条の所領に波及したとの口実で治安維持のため佐久全体を押さえることにありました。北条と上杉の同盟成立は最早疑いないため信豊背後の安全は保証され、真田領は信豊のものになるとはしたものの、内実は北信の支配確立を目論んだものでした。上杉の出方によっては川中島周辺を譲ることも視野に入れ、東山道からの幕府軍進出阻止を主眼としていました。
信豊は北信の武田旧臣に対して広く檄を飛ばします。武田復権に向けてまずは真田に横領された旧領を取り戻すことを訴えたのです。しかし求心力を失って久しい信豊に応じるものは僅かに過ぎず、真田の内部分裂を狙った試みも不発に終わることになります。
北条、真田領へ侵攻
業を煮やした信豊は海津城に麾下の軍勢を集めて真田領を窺う構えを見せます。この動きを察知した昌幸は信豊のもとに板垣信形を派遣し説得を試みますが、信豊は聴く耳持たず信形を捕らえると上田城を目指します。僅かな手勢で挙兵した信豊の背後に北条の影を感じた昌幸は、嫡男信幸に籠城に徹するよう命じて上田城を任せると、急遽次男信繫を伴い小諸城に向かいます。城に入った昌幸を待っていたのは、予想通り北条軍が迫っているという報だったのです。
真田、北条軍を翻弄
氏邦としては、混乱に付け込んで火事場泥棒的に真田領を奪うつもりだったため、管轄下である上野の兵力を結集せずとも可能と判断していました。北信の治安回復を名目に既定事実を作り上げてしまおうということです。氏邦は、やはり武闘派である兄氏照には了解を得ていましたが、小田原に諮ることはしませんでした。また氏照も、これを報告すれば必ず氏直・氏規らが反対して紛糾すると考え氏邦の独断専行を許したのです。彼らは和戦の間で揺れ動き明確な方向性を打ち出せない状況に辟易していました。
北条軍は沼田城代猪俣邦憲を総大将として真田領に侵攻します。邦憲は別働隊を望月城に向けるいっぽう、自らは一気に上田城を武田と挟撃して落とす肚でしたが、豈図らんや真田軍がすでに小諸城に集結しており、しかも城外に布陣していることを知ります。しかし千に満たない小勢であることから揉み潰すべく強襲をかけます。堪らず真田勢は三の丸に退き防戦しますが兵力差は如何ともし難く、邦憲は嵩にかかって攻め立てます。ところがこれは昌幸の策でした。七五三城と富士見城に潜ませておいた別働隊が北条軍の後方を急襲したのです。広大な三の丸に引き込まれた北条軍は意表を突かれ、退路を断たれる危険に動揺して攻守が逆転、十倍の兵力がありながら敗走することになります。
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