海道一から天下一へ その42
幕府と北条が、これほど早く決裂すると考えていなかった伊達政宗ですが、この間隙を縫って佐竹領 ...
河東失陥を招いた義元の誤算
今川とその客将であった伊勢盛時(北条早雲庵宗瑞)は、伊豆討ち入りや相模進出後も密接な関係を ...
海道一から天下一へ その41
北条が小田原防衛の要として心血を注いだ山中城は結果的に何の役目も果たせず無力化されてしまい ...
海道一から天下一へ その40
徳川家康に帯同した小早川秀康は、稲葉山城下で謹慎している兄信康との面会を望みますが家康はこ ...
海道一から天下一へ その39
幕府軍の総帥徳川家康は慎重でした。伊達については佐竹の存在が重石となって、直接脅威を及ぼす ...
海道一から天下一へ その38
天正20年(1592年)に入り、幕府は遂に関東平定のため大軍を催します。その総勢は25万に ...
海道一から天下一へ その37
関東行きを忌避した木下秀吉ですが、小早川秀康に対する徳川家康の参陣要請が腑に落ちないことは ...
海道一から天下一へ その36
北条氏直の釈明を受けて徳川家康は、北信における軍事行動の主導者が誰なのか糾明して責任を取ら ...
海道一から天下一へ その35
北条軍を手玉にとった真田昌幸ですが、少ない兵力をさらに分散させることは不可能でした。堅城で ...
