海道一から天下一へ その39
幕府軍の総帥徳川家康は慎重でした。伊達については佐竹の存在が重石となって、直接脅威を及ぼす ...
海道一から天下一へ その38
天正20年(1592年)に入り、幕府は遂に関東平定のため大軍を催します。その総勢は25万に ...
海道一から天下一へ その37
関東行きを忌避した木下秀吉ですが、小早川秀康に対する徳川家康の参陣要請が腑に落ちないことは ...
海道一から天下一へ その36
北条氏直の釈明を受けて徳川家康は、北信における軍事行動の主導者が誰なのか糾明して責任を取ら ...
海道一から天下一へ その35
北条軍を手玉にとった真田昌幸ですが、少ない兵力をさらに分散させることは不可能でした。堅城で ...
海道一から天下一へ その34
真田昌幸は依然として川中島の武田信豊を主君として立ててはいたものの、事実上独立勢力と見做さ ...
海道一から天下一へ その33
徳川家康の意を受けた石川数正は、信康を改心させて生かす道を見い出すことが最後の奉公との決意 ...
海道一から天下一へ その32
関東管領を譲りたいという北条の申し出は上杉家中を驚かせますが、当主景勝は冷やかでした。父謙 ...
海道一から天下一へ その31
伊達政宗の弟小次郎を迎えた北条ですが、幕府との緊張緩和を優先して再び佐竹征伐軍を起こしはし ...
海道一から天下一へ その30
大内定綱謀反の噂によって動きを封じられた伊達政宗は鬼庭綱元を大将として大崎義隆討伐に向かわ ...