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ヘッダー

球聖は聖人君子にあらず


1905年8月30日、デトロイト・タイガースからタイ・カッブがメジャーデビューしました。後年球聖と謳われることとなる大打者の、24年に及ぶ現役生活のスタートです。その間数々の記録を打ち立て、未だ破られていない通算打率・首位打者獲得回数・通算本盗など多くを保持しています。特に通算打率.366は永遠に破られることのないアンタッチャブルな記録でしょう。また09年には史上唯一の打撃全タイトル制覇も成し遂げています。

日本でも伝説的な往年の選手としては、ベイブ・ルースに次ぐ知名度だったと思います。通算盗塁897をルー・ブロックが、通算安打4189をピート・ローズが射程圏内に捉えたおりにカッブが残した驚異的な数字がクローズアップされたものです。さしずめルースがビッグボールの申し子ならば、カッブはスモールボールの権化といったところでしょう。

球聖という尊称からは、聖人君子のように模範的な選手をイメージしますが実際には程遠い「ヒール」そのものだったようです。最高の技術と最低の人格を持つと評され、最も相手に忌み嫌われた選手とされています。大学でのインテリなど珍しく、現代とは比較にならないほど粗野で行儀のよくない暴れん坊が多かった時代でのことですから余程のことです。以前記事で紹介したレオ・ドローチャー自伝『お人好しで野球に勝てるか』でも、相手野手に恐怖心を植え付けるためベンチでスパイクをヤスリで研いでいたとか、ドローチャーの酷い野次に激高したカッブに追い詰められたところをルースに救われたとか、敵役として抜群の存在感を発揮しています。しかしドローチャーの言感からは、カッブに対して何か畏敬の念を感じさせるんですよね。これは勝つためには何でもあり、ルールすれすれのところをチャレンジしてうまくいけば儲けものというドローチャーの矜持と、カッブの負けず嫌いと勝利への執念には通じるものがあったということでしょう。選手時代から将来監督になることを目指していたドローチャーが監督としての帝王学を学んだのは、ヤンキース時代のミラー・ハギンスとカーディナルスの監督兼任二塁手フランキー・フリッシュとしていますが、敵であるカッブの姿勢からも多大な影響を受けたのは間違いないでしょう。

カッブが打撃全タイトルを獲得した09年の本塁打数は9で、しかも全てランニングホームランです。飛ばないボールだったこの時代、柵越えの本塁打はそうそう出るものではなく一桁での本塁打王は珍しくなかったのです。加えて現代のようにグラウンドが標準化されていないため異様に広かったり、いびつな形状だったりしたので、外野手の間を抜ければランニングホームランになる確率は、今より遥かに高かったはずです。これらを考えると当時の本塁打王は、遠くへ飛ばすパワーヒッターという現代のイメージとは違ってあくまで三塁打の延長、つまりスピードと走塁技術に長けたものが争うものという側面が強かったことでしょう。このデッドボール時代の本塁打王には二塁打三塁打に加えて盗塁数も多く、さらには圧倒的に左打者が占めていることが如実に表していると思います。

また、かつて海外スポーツサイト『bleacher report』が選んだ「野球史上最高の強肩外野手」では19位にランクインしており、通算捕殺数392はトリス・スピーカーに次ぐ歴代二位です。カッブ全盛時のタイガース外野陣、左翼手ボビー・ヴィーチ、中堅手にカッブ、右翼手サム・クロフォードの布陣は、非常に高いレベルで攻守走揃った史上屈指のトリオでしょう。因みに通算捕殺はクロフォードが16位で268、ヴィーチは46位の207です。

カッブの映像を見たことはないですが、どのような打撃スタイルだったのでしょう? 私が連想するのはイチロー選手なんですよね。彼の登場は、一時的なスモールボールへの回帰をもたらすほどの衝撃を与えました。チョップヒッティングはカッブの時代スタンダードでしたから、皆あんな感じだったかもしれません。ただカッブは自身を「足は速くなかった」と言っており、純粋なスピードがものをいう内野安打は稼げなかったでしょう。だとすると、どのコースにどんな球が来ても自在に野手の間を狙い撃ちする技術は、イチロー選手とは比較にならないほど高かったと想像します。どんなに嫌っていたとしても最高と認めざるを得ない、それほどの評価を受けるからには他の追随を許さないレベルだったことでしょう。

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Posted by hiro