日米野球よもやま
私が初めてMLBに接したのは1971年の日米野球です。来日したのはアメリカンリーグ3連覇中で前年のワールドチャンピオン、ボルティモア・オリオールズ。勿論選手の名前さえ知らず父と一緒にテレビを見ていただけでしたが、とにかく強いのなんの日本チームは全く歯が立たず、この時にMLBへの憧憬が芽生えたのは間違いないです。我が家のテレビはまだ白黒だったと記憶しています。
次に来日したのが74年のニューヨーク・メッツ。前年ナショナルリーグを制したチームでしたが打線にオリオールズのような破壊力はなく、日本チームが善戦しました。王貞治選手がトム・シーヴァーから本塁打を放った記憶があります。
78年に来日したシンシナティ・レッズ、これは強烈でした。この頃にはMLBの情報を漁るようになっており、選手も殆ど知っていたので大いに楽しみでもあり、学校でも話題になっていましたね。レッズはビッグレッドマシンと形容された強力打線が売りでしたが、看板通りの豪打を見せつけました。何と言っても初戦でジョージ・フォスターが名刺代わりに放った一発には度肝を抜かれました。堀内恒夫投手のカーブをものの見事に捉えた打球は、後楽園球場の左中間スタンド最上部の看板を直撃、あわや場外かという当たりでした。守備でもジョニー・ベンチの片膝付いたままの牽制球などは日本プロ野球ではお目にかかれなかったプレーで興奮しました。パワーの差は如何ともし難いというのが実感でしたね。
翌79年にはアメリカンリーグ、ナショナルリーグのオールスターが日本各地で対戦するという初めての試みがなされました。この時はさほど印象に残るプレーもなく、物見遊山的な雰囲気を感じたものです。それでもデニス・レナードやバート・ブライレヴンがオフシーズンにも拘らず147,8,9kmの速球を連発するのを見て、やっぱり向こうの投手は速いなあと感心しました。当時の日本球界で最速とされていた小松辰雄投手でさえ、150kmを超えることは稀でしたからね。
81年に来日したカンザスシティー・ロイヤルズは前年のアメリカンリーグ覇者でしたが、エース級投手が来なかったこともあって苦戦しました。日本のマスコミは迫力不足と評し、MLBが拡張して球団数が増えたためレベルが下がったと言う解説者もいました。確かにそういう側面がなかったとは言いませんが、中南米カリブからの選手流入によって競争は激しくなっていたはずです。日米野球でのパフォーマンスなど選手のコンディションやモチベーションに大きく左右されたでしょうから、私としてはそういった評価を苦々しく思っていました。はっきり言えるのは、スーパースターとされる選手のポテンシャルはいつの時代でも圧倒的に高く、日米の差は確実に存在するということです。ジョージ・ブレットの強打やウィリー・ウィルソンの快足を見ては、それを否定できる筈はありません。
その次に来日するオリオールズが、私が初めてスタジアムで目にするメジャーリーガーになります。
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