リプケンとマレー
1984年に来日したのは前年のワールドチャンピオンであるボルティモア・オリオールズ。当時からFAで選手をかき集めることをせず、傘下マイナーで育成することに長けているチームで、その筆頭がカル・リプケンとエディー・マレーでした。マレーは77年のデビュー以来中軸を担って押しも押されぬ4番でしたがリプケンが台頭、83年にはマレーを抑えてMVPを獲得してまさに二枚看板と言える存在でした。
この年は最初の5試合が日本シリーズ覇者広島カープとの対戦でしたが、初戦で完封負けを喫します。私が観戦した横浜スタジアムでの試合でも本調子とはいえず、ケン・シングルトンの逆転二塁打で辛くも勝った感じでリプケン、マレーとも快音は聞かれませんでした。正直拍子抜けしたという感想です。
ところが二人はすぐさま調子を上げて、その破壊力を存分に見せつけることになります。実際のところ日本の投手陣にしてみれば、この二人さえ抑えればあとは怖くなかったでしょう。しかしメジャー屈指の強打者ともなるとパワー、テクニックとも日本での基準を遥かに凌駕するものであることを思い知ったはずです。
リプケンで印象的なのは確か後楽園球場だったと思うのですが、内角低めのシンカーを左翼ポール際に弾丸ライナーで運んだ一打です。これが見逃せば完全なボール球どころか恐らくワンバウンドしていたであろう悪球で、長い腕を器用に折り畳んでからまるでゴルフのスイングかのようにすくい上げたのです。リプケンはホームベースに向かって大きく踏み込みながら上体も突っこんでいくフォームでしたから、実に窮屈極まりないスイングになったにもかかわらずあそこまで飛んで行った… こんな本塁打は後にも先にも見たことがないです。
マレーの一発はさらにその上を行く強烈なものでした。このテレビ中継は試合途中からのスタートだった関係で、冒頭にここまでのハイライトという形で放送されました。槙原寛巳投手の投じた膝元の快速球に目にもとまらぬ速さでバットを一閃すると、打球は平和台球場のスコアボード右横を場外に消えていったのです! 翌日の新聞報道では推定飛距離160mとされていましたが、成程そのくらいは飛んだであろうと納得できる当たりでした。しかも槙原投手といえば当時日本球界で最速の投手です。甘いボールならまだしも内角低め、恐らくボールだったであろうという厳しいコースですからね。それをあそこまでもっていく… 凄まじいの一言です。
確か『Sports Illustrated』誌だったと思うのですが、当時の選手が互選で選ぶ「最も怖いバッター」でナショナルリーグのデイル・マーフィー(ブレーブス)と並んでアメリカンリーグからはマレーが選ばれていました。また最も遠くまで飛ばすバッターの一人でもあり、ステディー・エディーの異名を持った彼を私は三冠王の最有力候補と考えていました。にも拘らずシーズン最多本塁打が33本に止まったのは意外ですが、スイッチヒッターとして史上最高級なのは疑いないですね。
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