驚愕の下手投げ二盗阻止
1979年8月2日、ニューヨーク・ヤンキースの主将にして正捕手のサーマン・マンソンが事故死しました。自家用セスナの操縦を誤って木に接触、墜落炎上したものです。新聞紙上で知った私は大きな衝撃を受けました。現役で、しかも名門ヤンキースのスターですからね。デケイド通してオールスターゲームにおけるアメリカン・リーグの先発捕手は、マンソンかカールトン・フィスクと決まっていたようなものです。攻守とも秀で、リーダーシップにも優れた彼に不慮の死が訪れなければ将来の殿堂入り確実だったと言われる名捕手でした。
現役スポーツ選手の死には、レース界を除けばそうそう接するものではありません。それ以前にはF1ドライバーのカルロス・パーチェが飛行機事故で墜死した記憶が新しかったのですが、この時には紙面に「乗客にカルロス・パチがいた」という事実のみが伝えられており、確信が持てなかったのです。ブラバムのプラモデル説明書には英語読みの「ペイス」と載っていましたから、日本語表記に揺れが存在することは知っていたので恐らくそうだろうとは思いましたが、後任にハンス・シュトゥックが収まったことを知るまでは勘違いであってほしいと願っていました。サーキットで散るならともかく飛行機事故ではねえ…
マンソンに話を戻すと、強力なリーダーシップでチームをまとめ上げたとされますが、実際のところどうでしょう? 当時のヤンキースはブロンクス・ズーと揶揄されるほど内輪揉めが多く、フィールド外での出来事が頻繁に記事になるような有様でした。低迷を抜け出すため大枚を叩いたFA加入組には、レジー・ジャクソンやミッキー・リヴァースのような自己主張が強かったり奇人変人の類もいます。さらに監督は「ケンカ屋」ビリー・マーティン、オーナーは平気で現場に口を出すジョージ・スタインブレナーときては手の施しようがないでしょう。マンソン自身がマスコミ嫌いだったことを考えても決して高潔な人格者ではなく、調整と融和に身を粉にするタイプとは思えません。恐らくは一触即発の雰囲気の中、プレーで模範を示して生え抜き選手を引っ張ることが精一杯だったのではないでしょうか。
将来の殿堂入りが確実だったかについては疑問です。フィスクより打撃はシュアだが長打力では劣る。それでもフィスクほど長く捕手を務められれば可能性はありますが、当時32歳のマンソンには守備面での不安が囁かれ始めていました。小柄で敏捷ながら、一見すると相撲レスラーのような体型が、捕手という激務を続ける障害になっていたかもしれません。遠からず一塁にコンバートされていたのではないでしょうか。左の強打者が欲しいチームにクリス・チャンブリスを放出してマンソンの後釜を取る。ブッチ・ワイネガー(ツインズ)かジョン・スターンズ(メッツ)が狙い目かもしれません。しかし数年後にはドン・マッティングリーが昇格してくるんですよね。一塁守備も超一流の新星にポジションを明け渡さるを得ないでしょう。マンソンはトレードを拒否して引退するのではないでしょうか。
マンソンが私に強烈な印象を与えたプレーがあります。それは二盗を試みた走者を下手投げで刺したものです。驚きました。当時日米で最もレベルに開きがあるのは捕手のフィールディングと肩とされていましたが、日米野球で目の当たりにしたジョニー・ベンチ然り、とても比較にならないと再認識したものです。私の記憶が正しければ、肩痛のため上から投げられなくなっていたと解説されていたと思います。それでも出場すること自体、今では考えられないことですね。
そうそう、あと驚くべきはマンソン・フィスク・ベンチの三人は同年生まれなんですよね。ベンチが年上のイメージがあるのは。すでに全盛期は過去のものという印象が強かったからでしょうか。どんだけ凄かったんだよということですが… それにしても歴史に残る捕手三人が同い年とは奇跡的な偶然です。
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