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海道一から天下一へ その44

会津制圧に向けて軍勢を発した伊達政宗でしたが挟撃を打診した北条には何の動きもなく、佐竹・蘆名連合の迎撃によって進軍を阻まれ戦線は膠着します。戦上手の佐竹義重は、政宗が単独で立ち向かうには荷が重い相手でした。

伊豆水軍の壊滅
四国勢で構成された幕府水軍を統率する九鬼嘉隆は、全軍で伊豆における北条水軍の拠点である下田城に向かいます。戦力では大幅に勝っているものの経験豊富な北条水軍は安宅船も多数擁しており、また老いたりとはいえ主将の清水康英は、息子政勝ともども豪力で知られた勇将であり決して侮ることはできないと考えていました。幕府水軍の接近を知った康英は、すぐさまこれを全力で迎え撃つことを決め石廊崎沖で待ち構えます。戦国最大規模の海戦は激しいものとなりましたが、数に勝る幕府水軍が次第に圧倒して北条方は退却、康英らは下田城に籠ることになります。

北方軍、南上野を制圧
前田利家率いる北方軍は、箕輪城の北条氏邦には拘泥せずに周辺諸城の攻略を進め、和田城・厩橋城・大胡城・女渕城・山上城・赤堀城・深沢城・柄杓山城・新田金山城などを次々と落としていきます。これらの守備兵はいずれも僅かで、大した抵抗は受けませんでした。これに対して氏照・氏邦兄弟は何ら有効な方策を打つことはできずに上野南部は幕府軍に制圧され、箕輪城の氏邦は孤立を深めることになります。

下野の情勢
隣接する下野では、当初から幕府に呼応する姿勢を見せていた宇都宮国綱に加え、結城晴朝・多賀谷重経が幕府側に転じて北条方に対する攻撃を開始していましたが、彼らは各々北条に従属を余儀なくされ失った独立の回復とともに勢力の拡張を目指しており、連携することはありませんでした。国綱は壬生義雄の鹿沼城、晴朝は兄小山秀綱の小山城、重経は小田氏治の小田城を攻めます。利害と縁戚関係が複雑に絡み合ってきた下野国衆は、同族内でも北条に対する距離感は異なるものの、幕府軍有利の情勢から次第に幕府側に傾きます。そんな中にあって城主佐野氏忠が氏照と帯同して不在の唐沢山城には、かつて氏忠と佐野氏の家督を争って出奔し佐竹に庇護されていた佐野房綱が、その援助を受けて殺到しますが、佐野四天王のひとり大貫政宗が徹底抗戦、房綱は関東屈指の山城を攻めあぐねることになります。

里見、下総に進出
房総半島を北上する里見義康を妨げる動きはなく、唯一頑強に抵抗した庁南城の武田豊信を撃破して上総を制圧します。これに対して当主直重が佐野氏忠同様氏照軍に参陣している下総の千葉氏では、重臣原氏内部で意見が割れます。徹底抗戦を主張する宗家原胤栄に庶流の親幹・邦房親子は反対し、森山城に籠ってしまいます。結局胤栄は生実城を放棄して臼井城に拠り、直重に救援を要請することになります。

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戦国時代

Posted by hiro