日本のカンナエは?
カンナエの戦いのように見事なまでの包囲殲滅戦が完遂された例は日本にはありません。もし関ケ原の合戦で小早川秀秋と毛利勢が徳川家康の腹背を突いたなら東軍は壊滅していた可能性が高いですが、家康には彼らが自分に与力するか最悪でも日和見を続ける目算が立っていたと思われます。でなければ袋の鼠になる危地に敢えて進む筈がありません。秀秋がなかなか動かないことに地団駄を踏むのは大いに理解できます。
日本三大奇襲のうち厳島については明らかに奇襲ですが、河越と桶狭間はそうとも言い切れず偶発的に起きた遭遇戦だった可能性もあります。どちらも寡兵をもって10倍近い大軍を相手に総大将を討ち取ったのですから金字塔と言えますが、これほどの兵力差があると包囲殲滅は不可能ですね。敵本陣に狙いを定めての急襲が成功し、総大将亡き大軍が指揮系統を失い烏合の衆となった後は残敵掃討戦となり夥しい犠牲を出したということでしょう。確かなのは北条氏康と織田信長には、機を見る明晰な頭脳と果断さがあったということです。
寡兵で大軍を破るとなると島津の釣り野伏が有名ですが、これは予め伏兵を置くことが前提なのでカンナエのような平原では実行できません。圧倒的に兵力で勝る龍造寺隆信を討ち取った沖田畷の合戦での勝利は見事ですが、これは兵力差を過信した隆信の慢心が招いたものでしょう。島津の戦ぶりを熟知していたなら起きなかった失策です。
やはり正々堂々の野戦において寡兵で敵を包囲殲滅したハンニバルの偉業は特筆されるべきものですが、ザマでハンニバルのお株を奪ったスキピオも天才でしょう。名将同士が戦場で相まみえれば、そう簡単に一方的な展開にはなりません。武田信玄と上杉謙信もそうですね。例えハンニバルに年齢からくる衰えがあったとしても、直接対決で完勝したスキピオをハンニバルの上位に置くのは自然なことと思います。
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