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三国志最強武将

建安3年(199年)12月24日、下邳の戦いで曹操・劉備連合軍に敗れて降伏した呂布が処刑されました。長い中国の歴史上でも、その個人的武勇の卓絶さにおいて項羽と比肩されるほどでありながら、浅慮と人望のなさが禍して滅んだ驍将です。数多の英雄が登場する『三国志演義』前半を彩る中心人物の一人であり、敵役ながら圧倒的武勇と裏腹に人間的弱さを抱えたどこか憎めないキャラクターとして描かれています。

『演義』においては各部将の個人的武勇が大きくクローズアップされて一騎討ちがしばしば生起していますがほとんどは創作であり、歴史書である『三国志正史』では片手に満たない数にすぎません。その一つには呂布が郭汜を破った例がありますが、それだけで呂布が最強という証左にはならないでしょう。当時は集団戦とはいっても戦車が主力だった戦国時代以前と違って機動力に優れた騎兵が中心になっています。衆人監視のもと戦自体の勝敗を決めるような一騎討ちではなくとも、偶発的に大将同士が矛を交えることは少なくなかったのではないでしょうか。各陣営で誰が強いなどという噂は広まっていて当然です。今回は巷間しばしば話題になる『三国志』最強は誰かについて考えてみます。

 1 呂布          11 許褚
 2 太史慈         12 龐徳
 3 関羽          13 馬超
 4 張飛          14 魏延
 5 孫策          15 徐盛
 6 典韋          16 張遼
 7 閻行          17 程普
 8 孫堅          18 曹仁
 9 徐晃          19 徐栄
10 趙雲          20 顔良

やはり呂布ですね。明代までに成立した『三国志演義』は蜀を正統とする立ち位置にあるため、蜀将の活躍が誇張されているのは確かです。蜀の五虎大将軍に比せられるべき魏の五子良将のうち『演義』において蜀将に匹敵する英傑として描かれているのは張遼くらいのものです。徐晃・張郃にもそれなりに活躍の場は与えられていますが、楽進・于禁に至っては明らかに小物として描かれ、まるでユニット扱いされているかのようですからね。それを考えると呂布の存在感は別格です。虎牢関の戦いにおける「三英戦呂布」は創作ですが、劉備はともかくそれぞれ一万の兵に相当すると謳われるようになる関羽と張飛を同時に相手にするという、とても有り得ないような役割を作者が外連味なく与えているのが象徴的です。「飛将」と称され北方騎馬民族が出自ともされる呂布は、赤兎のような悍馬を自在に乗りこなす馬術を存分に生かしてその武勇を最大限発揮しえた随一の騎兵指揮官だったということでしょう。

馬超は『演義』においては最強クラスですが、『正史』で閻行との一騎討ちで完敗して命を落とす寸前だったと記述されているのが痛いですね。顔良を入れたのはバランスを考えてのことです。高順を入れるつもりだったのですが、河北の覇権を曹操と最後まで争った袁紹は確固たる地盤を持つ名門の出身であり、反董卓連合の盟主としての声望もあって人材は集まってきたはずです。当初は曹操とは比較にならない勢力を誇った袁紹陣営にも勇猛な武将は多かったと思われるので、一人も入れないのは不自然と判断した結果です。

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中国,古代

Posted by hiro