ハンニバル vs 若きスキピオ
紀元前216年8月2日、カンナエの戦いでハンニバル率いるカルタゴ軍がローマ軍を破りました。それも数的劣勢にあったカルタゴ軍が正面切っての野戦で約1.5倍のローマ軍を包囲殲滅するという戦史上特筆すべき勝利です。これによってハンニバルの名声は不朽のものとなり、数多の将軍達がその再現を狙って戦場で相まみえることになります。
この戦いには14年後にザマの戦いでハンニバルを破るスキピオ・アフリカヌスも参加していました。彼はハンニバルの用兵を徹底的に研究して対決に備えたといいます。カンナエの時点でスキピオは20歳ですから若すぎるとはいえ、彼が実際に軍団を初めて指揮したのは25歳の時です。何らかの形で偶然が積み重なり、この決戦が数年遅れていたらスキピオがローマ軍の長だった可能性がなかったとは言い切れません。
この場合、百戦錬磨のハンニバルに対してスキピオの経験不足は否めません。しかし古今東西を問わず名将に共通するのは機を見るに敏ということです。彼が軍事指揮官としてハンニバルに比肩する天才だったことは疑う余地はなく、直接対決が早まっていたらどんな結果になったかは非常に興味深いです。
問題は執政官二人が戦場を共にする以上、日替わりで片方が決定権を持つことです。スキピオが望むタイミングで戦端が開かれることになったかは不透明ですが、早暁雌雄を決することにはなったでしょうね。
ハンニバルは史実通り重装歩兵を弓なりに中央を厚く配置して縦深を深くとるでしょう。スキピオはこの布陣を見ただけで彼の意図を察知したかもしれませんが、対応が難しいです。この会戦がアウフィドゥス川の岸辺で行われたのは確かですが、北岸か南岸かが判然としません。仮にローマ軍の右翼が川だったとするならば、敵を川に追い落とすことを狙って右翼の騎兵を左翼に向かわせ、北から圧力を加えるのもありです。しかし一時的にせよ重装歩兵右翼が側面からカルタゴ騎兵に攻撃されるかもしれず、そうなると持ち堪えられるかが問題です。ただ、この時代の主力はあくまで歩兵であって騎兵は従戦力だったことに留意が必要です。
ハンニバルは左翼の歩兵を指揮していたので、すぐさま把握して意図を読んだと思われます。騎兵戦力ではカルタゴ優勢ですから追撃させて挟撃しようと… 自身は当初目論んだ包囲殲滅でなく、ローマの重装歩兵を分断しての各個撃破を目指して北上したのではないでしょうか。数で劣る以上これが次善の策と思われます。史実ではローマ軍中央はカルタゴ軍を押しまくって突破する寸前ながら、その前に包囲されてパニックに陥りました。南からの圧力が減ったカルタゴ軍の戦列は北向きになるので川を背にする形になります。
スポーツと同様、戦場にもモメンタムがあります。勢いづいたローマの重装歩兵はそのまま猪突して分断されていたのではないかと思います。若いスキピオは危険を悟っても制御できなかったかもしれません。とはいえローマ歩兵の戦闘力は他の追随を許さないものであり簡単に殲滅されるはずはありません。結果的にローマ騎兵がカルタゴ騎兵を誘引することになって潰し合い、戦局に決定的な影響を与えることはなく終わります。つまり、双方ともに包囲殲滅は完成しなかったということです。
おそらく人的損耗はローマ側が多く戦術的にはハンニバルの勝ちと言えますが、スキピオもその軍才を大いに発揮して評価を上げたでしょう。もしリベンジの機会があったなら、ザマと同じく彼が勝っていたように思えます。
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