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蒔田城

2022年5月23日

私が通っていた小学校がある丘から谷を隔てた反対側の丘に、母の出身女子校(現在は共学)がありました。そのあたりにも友達がいたので、よく周辺で遊んでいました。
ある日「お母さんが通っていた学校には昔、お城があったんだよ」と聞かされ胸がときめいたのです。
子供のことですから、城というと石垣と立派な天守閣を備えたものと思い込んでいたんですねえ。すごく誇らしい気がした記憶があります(笑)

当時から歴史に興味があった私ですがネットのない時代、実態を把握までには時間がかかりましたが、大人になるころには関東の城は戦国時代最終盤まで石垣はなかったこと、地形をうまく活用した山城が主流だったこと、天守閣などなかったことは知っていました。この丘の標高は30m程度なので山城というほどのものでもなく、館に最低限の防御施設を備えたものだったと思います。10年ほど横浜を離れていたことがあり、戻ってから懐かしさもあって遺構を探しに周辺を歩いてみました。

大手側は緩やかな左カーブの坂道で100mくらい上った左側に学校の正門があり、敷地内が曲輪です。当然中には入れないのでさらに200mほど進んだところで行き止まりになってしまいました。その手前には150段くらいの階段があって学校と駅との通学路になっています。昔上ったことがありますが結構息が切れます。最初緩やかで上るにつれて勾配がきつかったかなあ。それを知っているので戻りました。坂道の学校敷地と反対側は結構な崖。微かに城の雰囲気を醸し出していましたが、これといった遺構は見つけられなかったです。女子校の周辺をうろうろするのもちょっと憚られますし…

この蒔田城、吉良氏の居城でした。そう『忠臣蔵』吉良上野介の一族です。

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戦国時代

Posted by hiro