桶狭間後の今川義元 その49
武田信廉が甲斐に撤退したことは駿河の戦線に決定的な影響を与えます。これまで従ってきた駿河先方衆にも最早武田に見捨てられたとの空気が広がり離反するものが出始めたのです。
山中の戦い
小山田信茂の岩殿山城に迫っていた北条氏規は、富士見峠を越えた武田勝頼が甲斐路に入ったとの報に驚き、これに備えるため全軍を返します。氏規は籠坂峠を扼するため朝比奈泰栄を先発させますが、ここでも勝頼の進軍は急であり、すでに先着していた勝頼勢に逆落としに攻められ敗走します。余勢をかって勝頼は山中湖畔で氏規の本隊と衝突、一時は氏規の本陣が危うくなるほどでしたが氏規も奮戦して押し返し、決着はつかずともに陣を払います。勝頼は期待していた郡内衆の来援がなくこれ以上の進撃を諦めますが、郡内からの甲府への圧力を暫時除くことには成功しました。しかし氏規勢を駆逐するには至らず形勢は依然予断を許さないものだったのです。
武田軍の崩壊
勝頼の転進によって北条氏直と対峙する武田軍は著しく不利な状況に置かれます。厭戦気分が広がる中、駿河先方衆の朝比奈信置・岡部正綱に加えて大熊朝秀までもが戦場を離脱、一条信龍はもはや戦線を保てないと判断して駿府に向け撤退を開始します。氏直が追撃しなかったためこれは成功しますが、この時駿府には徳川家康の命を受けた嫡男信康の軍が迫っていました。城下で激しい遭遇戦となりましたが、態勢の整っていなかった武田勢は信康の猛攻を凌ぐことができずに今福虎孝は討死、一条信龍は長源院で自刃して果てます。こうして駿河の武田軍は壊滅、徳川と北条の勢力圏が接することになります。
勝頼甲斐に帰還
駿河での敗戦と叔父信龍の死によって、勝頼は本領甲斐の防衛に専心せざるを得なくなりました。勝頼は身延路から甲斐に帰還して弟仁科盛信を高遠城に戻し、叔父信廉には郡内方面の北条勢への対処を任せて自らは新府城の完成を急ぎます。また勝頼は越後の上杉景勝に援軍を要請します。未だ動こうとしない従兄弟信豊の背信は決定的であり、信豊の義兄弟に当たる景勝を動かして頽勢を挽回しようと目論んだのです。四面楚歌となった勝頼にとって景勝は最後の頼みの綱でした。しかし景勝は求心力強化のために行った施策への反発が呼び起こした一向一揆の蜂起や国衆の反乱鎮圧に手こずっており、勝頼を援ける余裕はありませんでした。また自立した信豊を上手く利用して自らの立場を強化することを考えていたために、敢えて火中の栗を拾う気などなかったのです。
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