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ひょうたん池

2022年5月28日

昔「ひょうたん池」と呼ばれている場所がありました。通っていた小学校から徒歩で10~15分ほどだったでしょうか。進むにつれ民家は疎らになり、養鶏所が点在して特有の臭いを放ちます。その先は崖になっていて眼下にはダダッ広い空地と川を挟んだ街並みが広がり、さらに遠望できるのは米軍住宅が立ち並んでいた山手の丘。緩やかな場所を選んで降りて行ったその空き地のあたりが「ひょうたん池」でした。その呼称からかつて池があったであろうことは想像できますが、その頃には既になかったです。

完全な平地ではなく、今考えると城の縄張りのような低い段丘の集まりといった感じでおそらく造成中だったのでしょう。どこも関東ローム層の赤土、中には地層が剝き出しのところもあって貝殻や三葉虫(?)の化石が取れたりもしました。そんな空き地の南端にひときわ小高い丘があり、その山肌は木々に覆われています。獣道のようなところを木の枝を手繰ってしばし登っていくと、てっぺんは平坦で結構な広さ。校庭ほど広いわけではないですが、子供が野球をするには十分だったわけです。

誰が最初に探検したのかわかりませんが、よく見つけたものだなと思います。あそこは私たちだけの場所だったですから。しかし頂上だけまるで整地したかのように平坦だったのが不思議で、ひょっとして城の本丸だったのではないかと思えるほどですが、あの辺りに城が存在した記録はないんですよね。地理的にはあってもおかしくないですが、それを言ったら横浜は山が多いですから城だらけになっちゃうか…

横浜を離れてから久しぶりに戻ってきた20年程前、懐かしくなって行ったことがあります。案の定「ひょうたん池」」には大規模な公団が立ち並んでいましたが、北側にはまだ造成中の空き地がかなりあり、養鶏所も僅かに残っていました。2年前、近所の神社に初詣でしたついでに思いついて再び歩いてみました。養鶏所は姿を消し住宅が林立、新しい道もできて迷ってしまう始末。それでも昔の面影を追い求めてしばし彷徨った後、遂に見つけました、あの崖からの絶景を。様変わりしたとはいえ、紛れもなく瞼の裏に焼き付いた子供の頃の記憶そのものです。時の経過をしみじみ感じながらも、それに流されない不変のものがあると改めて気付いたのです。

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現代

Posted by hiro