大統領になり損ねた最高の副大統領
3月31日はアル・ゴアの誕生日です。自身が出演した映画『不都合な真実』でセンセーションを巻き起こしてノーベル平和賞にも輝いた彼はまた、史上最も傑出した副大統領として評価が高く、個人的に是非とも大統領になって欲しかった人物でもあります。
アメリカの副大統領は表に出ることのない閑職とも言われますが、大統領にもしものことがあった時には職務を引き継ぐわけですから、極めて重要なポジションであるのは言うまでもないことです。彼の場合、在職中にライフワークである環境問題、そして情報通信網の拡充を主導して存在感を発揮し、インターネットの普及に多大な貢献をしたことで知られています。
1988年大統領選民主党予備選挙で善戦した彼は、92年には出馬を見送りました。これは交通事故で瀕死の重傷を負った息子をサポートするための決断とされています。何よりも家庭を優先するのが一般的なアメリカにおいては好意的に受け取られる行動でしょう。しかし端から諦めていたわけではないと思うのです。その後起こった湾岸戦争をジョージ・H・W・ブッシュ大統領が主導して勝利したことで、ブッシュの再選は動かし難いと判断したためではないでしょうか。実際軍事作戦の成功直後ブッシュの支持率は89%にまで達しており、それは当然の帰結と考えられていました。本命視されていたニューヨーク州知事マリオ・クオモをはじめ、民主党の有力者が軒並み不出馬を表明したのも勝ち目がないとの判断と思われます。結果的に民主党の予備選挙は全国的な知名度の低い候補者たちの争いになり、勝ち抜いたのがビル・クリントンだったことになります。
クリントンがゴアを副大統領候補に据えたのは、たいへんな英断だったと思います。南部出身のリベラルで、ほとんど無名に近いクリントンならば、支持の薄い層を補完する意味合いでバックグラウンドの異なるベテランや党の重鎮を起用しそうなものですがそうはせず、やはり南部出身で同世代ながら、民主党リベラル派の旗手として名を馳せた父を持つ親子鷹であり自分よりも知名度が高いゴアを指名したことがフレッシュさを増幅し、変革を訴えるクリントンの戦略に合致してイメージアップにつながったと思われます。事実、当初後れを取っていた支持率がゴアの副大統領候補指名で跳ね上がったと記憶しています。
またクリントンはイギリス留学中にマリファナ吸引歴があることが知られていますが、私の記憶が正しければゴアにもあったはずです。リークされた時期は定かでないですが、副大統領になる前だったのは確かです。これは二人ともベトナム戦争が泥沼にはまって反戦運動が激化しヒッピームーブメントたけなわの中、青春時代をを過ごしているのでやむを得ないですね。当時の日本で未成年がタバコを吸うのと似た感覚でしょう。
2000年の大統領選挙で歴史的接戦の末、得票数で上回りながら敗れたのは返す返すも残念です。もちろん彼が大統領でも何らかの形でのアメリカ中枢へのテロ攻撃は避けられなかったでしょう。テロリストにとっては民主党も共和党も関係ないですからね。国民が黙っているはずはなく、アフガン戦争は必然です(イラク戦争は話が別です)民主党がリベラルだからと言って外交が弱腰なわけではないのは歴史的にも明らかですしね。ただ、対テロ戦争に忙殺されながらも環境問題への真摯な取り組みは継続されたはずですから、京都議定書からの離脱もなかったでしょう。一時の猶予もならない地球温暖化対策は今より進んでいたのではないでしょうか。
それにしても大統領選での惜敗と、92年に立候補しなかったことを考え合わせると、巡り合わせの悪さを感じずにいられません。彼が大統領になれなかったことは、あらかじめ運命づけられていたのではないかとさえ思えます。
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