初期フランドル派の巨人 ファン・エイク
7月9日はヤン・ファン・エイクの誕生日です。油彩技法を確立したとされる彼は絵画史上最大の革命児と言っていいでしょう。乾燥に時間がかかるという油絵具の特徴を生かして乾く前に塗り重ねる手法は、より複雑で深遠な色彩表現を可能にしました。これはまさにマイルストーンと呼ぶべきものであり、彼の登場を境に絵画史は大きく分けられるとさえ思います。
これほどの業績を残し、盛期ルネサンス時代においてもなお絵画に革命をもたらした巨匠として称賛されていたにもかかわらず、その後忘れ去られて再評価されるようになったのは19世紀半ばになってからというのは意外です。これにはイタリア・ルネサンスが瞬く間に欧州全土へ伝播したことで芸術の中心が完全にイタリアになったこと、フランドルが宗教戦争をはじめとする戦禍に絶えず見舞われて多くの作品が失われたことが影響したと思われます。そのためか現存する作品のほとんどは初期の来歴が不明ですが、生前から評価が高かった故に早い段階で収まるべきところに収まっていた作品が生き残ったということでしょう。
私が子供のころには兄フーベルトとともに「ファン・エイク兄弟」として一緒くたに扱われていた記憶があります。ヤンについては1425年にブルゴーニュ公フィリップ3世に仕えて以降の足跡はわかっていますがフーベルトは早世したこともあってか謎が多く、はっきりしているのはその翌年に死去したことだけです。かつてフーベルトの作品とされていたものも研究が進んで否定され、今では彼によって仕上げられた作品は皆無とされています。しかし、すでに失われてしまった『ヘントの祭壇画』オリジナルフレームにおけるヤンの銘文が、自分は兄に次ぐものであると明言していたことから考えて、ヤンが兄の手ほどきを受けて画家の道に入ったと想像できます。おそらくフーベルトは画家としての確固たる名声を得る前に世を去ったため、ヤンの兄として記憶されるにとどまったのではないでしょうか。もし彼が長命ならば作品も多く残り、画家としての才能の多寡を判断するのも容易だったでしょう。
ヤンが完成した技法によって絵画の持つ奥行き感は比較にならないほど増し、それ以前の平面的なものとは明らかに違いますが、それ以上に私が驚嘆するのは精緻極まりない細密描写です。彼のキャリアが装飾写本からスタートしたという説にも頷けます。よくぞここまでと感じるほど冷徹な写実性は後世の画家も模倣していますが、そのパイオニアは彼だと考えています。これはやはり線を重視しない画家にはできないでしょうね。現存する唯一の下絵『枢機卿ニッコロ・アルベルガティ』を見ても、そのデッサン力は私が絵画史上最高と考えるジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルに決して引けを取るものではありません。色彩も大事ですが線こそが絵画の醍醐味と考える私には、ヤンは無人の野を行く如き巨人です。
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