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ゲルト・ミュラーの後継者争い

1904年5月4日、ウェストファリア・シャルケが創設されました。現在のシャルケ04です。近年は低迷していますが、私が物心ついたころには強豪であり『三菱ダイヤモンド・サッカー』にも度々登場していた馴染みのあるチームです。

当時のシャルケと言えばクラウス・フィッシャーですね。代表から引退した「爆撃機」ゲルト・ミュラーの後継者最有力候補と目されていたストライカーです。ただし共通しているのは小柄ながら頑健な体躯であることと、プレースタイルが洗練されておらず垢抜けないことくらいで、ポジショニングの良さと嗅覚の鋭さでゴールへ流し込んでいたミュラーと違い、爆発的シュート力が売りでした。バイシクル・キックを得意としていたことで有名です。リュディガー・アブラムチクとのコンビは数々のゴールをシャルケにもたらしました。アブラムチクも非常に期待されていた若手ウインガーで代表にも召集されていましたが、同世代のカール=ハインツ・ルンメニゲが台頭したことで活躍の場を失ってしまいました。

個人的にはフィッシャー以上に期待していたストライカーがいたんですよね。1.FCケルンのディーター・ミュラーです。代表デビュー戦で途中出場ながらハットトリックを記録するという離れ業を演じ、フィッシャーが不発に終わった78年アルゼンチンW杯でも2ゴール決めています。この時期常にフィッシャーとブンデスリーガの得点王を争っていた印象があります。ところが、その後代表に呼ばれていないんですよね。新たに代表監督となったユップ・デアヴァルに嫌われていたのかな? フィッシャーが、その後も代表でのポジションを確保するに至らず空中戦に強いホルスト・ルベッシュと併用されたことを考えると、決定力を持つ上に高さもあるディーターを何故起用しなかったのか理解に苦しみます。ディーターとルンメニゲのツートップで固定していたら、非常に強力だったと思うのです。もしかしたら86年メキシコW杯まで西ドイツのフォワード陣は、このコンビで盤石だったかもしれません。

結局「新爆撃機」は低空飛行に終わり、真の後継者は現れなかったと言っていいでしょう。その代わりにウインガーだったルンメニゲが「ミスター・ヨーロッパ」として世界的に認知され、プレーの幅を広げてオールラウンダーに変貌し、ゲルマン魂の象徴となって君臨することになったのです。

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Posted by hiro