世界一のギアチェンジャー
21年前の今日イタリア人の元F1ドライバー、ミケーレ・アルボレートが事故死しました。ルマン24時間耐久レースに向けてのテスト中、タイヤバーストによってコントロールを失ったのです。
このニュースにも驚きました。というのもアルボレートはサーキットでの死から最も遠いところにいるドライバーと認識していたからです。ベテランの域に入ってからの彼は、地味で堅実な「いぶし銀の職人」と言える走りでした。致命的なタイミングでメカニカルトラブルに遭うと、どんなドライバーでも命を落とす危険性があるということを改めて思い知ったわけです。
若い頃の彼は「とても速いテクニシャン」という印象です。特にシフトチェンジテクニックはF1界随一の定評がありました。ウィリアムズのチームマネージャーだったピーター・ウィンザーは86年頃ある雑誌のインタビューで、もし条件面で何の制約もなかったらドライバーとして誰を招くかという質問に対してアラン・プロストの次にアルボレートの名を挙げ「彼は世界一のギアチェンジャーだ。ファンタスティックの一言に尽きる」と評しています。実際、メカニックたちは過酷なレースを走り抜いた後でのギアボックスの状態を見て驚いたといいます。また長きに渡ってF1に君臨していたフォードコスワースDFVエンジンに最後の勝利をもたらしたことでもその名を歴史に刻んでいますね。
久しぶりに登場したイタリア人のフェラーリF1ドライバーということで、ティフォシからの人気は日本での想像を遥かに超え、同郷の大先輩アルベルト・アスカリにあやかり「フライング・ミラン」と呼ばれ愛されました。アルボレート自身はフェラーリ時代を振り返って「素晴らしい日々」と述懐していますが、私はプレッシャーのほうが遥かに大きかったのではと考えています。最後に優勝した85年以降速さに陰りが見え始め、チームメイトに後れを取る場面が多くなっていく原因になったと。庇護者だったエンツォ・フェラーリの死が決定打となり、半ば追われるようにチームを離脱することになります。
私は正直なところ、シフトチェンジテクニック以外では彼をあまり高く評価してはいません。DFVエンジンでの2勝もターボとNAが混在し、それぞれの得手不得手なサーキットがはっきり分かれる状況でティレルに乗っていたのが彼だったと。勿論誰でも勝てるわけはなく、千載一遇のチャンスをものにするには実力も運も必要ですが、彼だから成しえた偉業とは思えない。当時未勝利で、もしティレルに乗っていたら勝てたと思うドライバーは複数いますが、中でもエディー・チーヴァーは81年ティレルに在籍して予選、決勝ともにアルボレートを圧倒してます。もし彼がティレルに残留していたら、歴史は全然違ったものになっていたかもしれません。
ごく短期間とはいえ、アルボレートはプロストの最大のライバルでした。そして今でもフェラーリに優勝をもたらした最後のイタリア人ドライバーとして記憶され、敬愛されているのです。
TOPMARQUES 1/43スケール フェラーリ 156-85 1985 No.27 M.アルボレート GRP43010A価格:17,050円 (2022/5/29 01:25時点) 感想(0件) |
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません