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スーパーラット

5月20日は「スーパーラット」ことニキ・ラウダの命日です。3回ドライバーズチャンピオンを獲得し、F1オールタイムグレートの中に名前が必ず上がる彼の渾名はいくつかありますが、個人的には「スーパーラット」がお似合いと思います。これは彼の面貌(出っ歯だった)と、その速さをネズミのすばしこさに例えて掛け合わせたものです。ミスが極めて少ない走りから「コンピューター」とも呼ばれましたが、マクラーレン時代の彼はまさにコンピューターそのものだったでしょう。

最も印象に残るレースは最後のタイトルを獲得した1984年の最終戦ポルトガルGPです。チームメイトにして王座争いのライバル、アラン・プロストが独走する中予選11番スタートのラウダは怒涛の追い上げを見せます。途中彼にしては非常に珍しい単独スピンまで喫するものの、最終的に2位でフィニッシュして僅か0.5ポイント差で逆転、ドライバーズタイトルを獲得したのです。このころのラウダは自身のミスによるスピンなど本当に数年に一回あったかどうかというくらいで後年のプロスト以上に正確無比なドライバーでした。また、いざ抜くとなると一発で仕留めていましたね。ヒタヒタと忍び寄ったかと思うと手こずることなくあっさりかわす。エストリルのようなテクニカルなコースでは、マシンに性能差があっても決して簡単なことではないです。もしかしたら王座獲得に向けた気迫が他のドライバーをたじろがせたのかも知れません。

マクラーレン時代の彼は、速くはないが強いドライバーというのが通念としてありました。このシーズン予選最高位は4番手でフロントローにさえ並んでいません。明らかにプロストのほうが速かったのは事実です。後年プロストがアイルトン・セナをチームメイトに迎えた時と比べ、この年のラウダは年齢的に衰えていたと巷間で言われるのも無理からぬところですが、フェラーリ時代のラウダは掛け値なしで速かったです。

中学に入って間もないころ自己紹介を兼ねたアンケートがあり、その中に尊敬する人物は?という質問がありました。私は誰の名をあげたか覚えておらず、おそらく歴史上の人物だったと思うのですが、同級生の中に「ニッキ・ラウダ」と書いた男子が数人いたのをはっきり覚えています。富士スピードウェイで初のF1グランプリ開催が決まっていたことから後年のF1ブームほどではないにしろ、かなりの盛り上がりを見せていたのは確かで、ラウダは当時の少年に最も名の知られたドライバーだったのです。私の場合は、よりイケイケだったジェイムス・ハントが好きだったのですが… ほどなくニュルブルクリンクでの大事故でラウダが生死の間を彷徨い復活するというドラマがあって、彼には「不死鳥」「不死身のチャンピオン」という肩書まで加わったというわけです。

あの事故の原因は未だはっきりしません。ラウダ自身はタイヤトラブルと言っていますが、映像を見る限り判然とせず、ドライビングミスの可能性もあると思います。当時のラウダは煌めくような速さを持っていましたが、決して危うさを感じさせるようなものではなく、私としてはサーキットでの死から最も遠いところにいるドライバーと思っていました。雨で濡れた路面はすでに乾きつつあり、ウェットタイヤでスタートしたトップグループはすぐさまドライタイヤに交換、タイヤ交換しなかった下位集団に阻まれてはいたものの、ポイントで大幅にリードしているラウダがリスクを背負う場面ではありません。何らかの機械的トラブルがあったと考えるのが自然でしょう。

しかし彼がジム・クラークやセナのような天才だったかというとノーです。フェラーリ加入以前の戦績はみすぼらしいもので、チャンピオンの器と思わせるものではないですね。確かにマーチもBRMも資金不足でNo1ドライバーに傾注せざるを得ない状況ですが、それでも天性の資質を備えたドライバーは逆境を跳ね返して速さをアピールするものです。マーチでの同僚ロニー・ピーターソンは若手でピカ一の速さを持った気鋭でしたから、全く歯が立たないのもやむを得ないところですが、BRMではクレイ・レガッツォーニ、ジャンピエール・ベルトワーズに後れを取っています。ともに優勝経験があるとはいえ、ベテランの域にある二人を速さで凌駕できないようでは一般的に考えれば将来望み薄でしょう。にもかかわらずフェラーリに抜擢されたのは、やはりエンツォ・フェラーリが慧眼だったということでしょうか。しかしファイターの権化ともいうべき勇猛果敢なタツィオ・ヌヴォラーリを敬愛していたエンツォは探し求めていたヌヴォラーリでなく、そのライバルだった頭脳派のアキッレ・ヴァルツィを見つけてしまったと述懐しています。ただフェラーリ移籍後はレガッツォーニより速くなっていることを考えるとマシンの戦闘力の高さだけによるものではなく、その開発と熟成にラウダが多大な労力を費やした結果そのポテンシャルを最大限引き出したということが言えると思います。その後チームメイトとなったドライバーはプロスト以外にカルロス・ロイテマン、ジョン・ワトソン、ネルソン・ピケと実力者ばかりですが、予選でも互角以上です。彼が速くないというのは明らかに誤りで、それだけレースでの強さが際立っていたということでしょう。ちなみにエンツォの悲願は数年後にジル・ヴィルヌーヴを抜擢することで報われることになりますが…

また安全面の意識が高く、大事故に遭う以前から速くなり過ぎたF1マシンにニュルブルクリンクは危険すぎると声高に訴えていました。ドライビングスタイルを含めてジャッキー・ステュワートの後継者と言われる所以でもあり、その系譜はプロストに引き継がれていくことになります。

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Posted by hiro