バーボンは大人への入り口
1789年6月14日、バプティスト派の牧師イライジャ・クレイグによって最初のバーボン・ウイスキーが製造されました。蒸留したウイスキーを内側の焼けた樽に放置してしまったことが発祥とされており、今でも彼の名はケンタッキー・ストレート・バーボンのブランドとして残されています。
酒を覚えた学生時代、それは酔って騒いで盛り上がるためのものであって、ゆっくり味わうという意識はまるでなかったです。そのため飲むウイスキーといえば国産の安酒ばかりで、バーボンやスコッチなどは大人が嗜むものと考えていました。つまりは敷居が高いと。当時流通していたバーボンの中では「ワイルドターキー」が高級で「ジャックダニエル」が続き、一段落ちて「アーリータイムズ」や「I.W.ハーパー」などがあるという認識でしたが、手を出そうという気はなかったです。将来それが似合う大人になってからでいいと思っていたんですよね。
ところが「バーボンデビュー」は思いの外早く訪れました。8才年上の女性と知り合う機会があって、飲み友達になったのです。と言うよりは、いいようにあちこち連れ回されたというのが正しいかもしれません。いろんな店を教えてもらいましたが、特に山下町界隈ですか。それまで中華街は文字通り中華料理店ばかりと思っていましたが、取り巻くように洒落たバーが点在しているのを初めて知りました。「ウィンドジャマ―」や「ケーブルカー」「タヴァーン」「ノルゲ」「オラフ」「タケミ」といったあたりです。若造が入るようなところではないと考えていたような店で、飲んだことのない酒をたくさん教えてもらった中にバーボンも含まれていたのです。彼女の一押しが「メーカーズマーク」でした。そのため今でも特に思い出深い銘柄なのです。
そんなこんなのうちに、いつの間にか彼女と付き合う羽目になっていました。ルックス的には全然タイプじゃなかったのですが、当時21才ですから8コ上の女性となれば只でさえ遥かに大人ですからねえ。しかも彼女は元ジャズシンガーで、音楽にのめり込んでいた私にとっては刺激をもらえたというのもありますが、加えて男性遍歴もかなりのものだったようで年下の男を落とす手練手管に事欠かなかったということでしょう。まるで掌で転がされているかのように彼女の思惑通り事は運んだわけです。後で聞いたことですが、一目見て「これは久々の大ヒットだわ!」と思ったそうで、最初から目をつけられてしまったということです。
この関係は長くは続きませんでした。早々に飽きられてしまったようです。まあ連れて飲み歩くにはもってこいだったものの、やはり子供だったということでしょう。それでもいろいろと勉強させてもらいましたし、貴重な経験だったと思っています。
その後長く横浜を離れることになって、これらのバーからはすっかり足が遠のきました。さらには食の趣向が変化したこともあって日本酒ばかり飲むようになり、バーボン自体嗜むことがなくなってしまいました。そんな中数年前になりますが、関内で飲み会があって二次会にとある女の子を誘ったのです。ふと昔のことを思い出して今一体どうなっているのだろうと気になり、足を延ばしてみたのです。街の佇まいは変わっていません。「タケミ」が閉店したことは友人から聞いてはいたものの、「タヴァーン」もない。記憶を辿って歩いてみたものの「ケーブルカー」も「オラフ」もない(記憶が正しければですが) 時の移ろいを感じながら最後の望みを託したのが「ノルゲ」… やってました。嬉しかったなあ。ただ店内に堂々と鎮座していた大型犬はおらず、写真に残されているだけでした。30年以上のブランクですから、店内も記憶とちょっと違いましたが、時の流れで変わるものと変わらないもののあはれをしみじみ感じながらくゆらせたのは、勿論「メーカーズマーク」です。
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