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海道一から天下一へ その32

関東管領を譲りたいという北条の申し出は上杉家中を驚かせますが、当主景勝は冷やかでした。父謙信時代に培われた不信感は根深く、何らかの思惑を感じずにはいられなかったのです。しかし徳川家康を警戒する直江兼続は、幕府を牽制するため北条と付かず離れずの関係を維持するべきと考えて交渉を継続します。細部を詰めながら真意を探り、北条と幕府との対決が不可避となった場合にはイニシアティブを取れるよう立場を強化することで生き残りを図るという深謀でした。

秀忠元服
酒井忠次の訴えを受けた家康は嫡男信康の処断を迫られます。信康の叛心が事実とは思えませんが、幕府の第一人者たる家康打倒を嫡男が企てたなど噂であっても放置できません。戦乱の世が終わっていない今、信康の武勇は惜しむべきものですが、その存在自体が反幕府の旗頭と目されるようになってからでは取り返しがつかなくなります。そこでまず家康は三男を急ぎ元服させ、長丸は秀忠となります。さらには小早川隆景の養子となった次男秀康を徳川に復帰させることを考え始めます。隆景に大いに気に入られ、その器量を度々伝え聞く秀康を信康に代わる武将として軍事面を統括させるという構想でした。これは凡庸に見える秀忠に不足と思われる面を補完しようとの意味合いがあったのです。それでも信康の処置は簡単に決することができず、当面従来通り石川数正の厳重な監視下に置くのみに留めるのです。

数正、家康に談判
謀反の嫌疑を被るつもりだった数正は、自身に何の咎めがないことに不安を覚えて家康に書状をしたためます。その中で信康は無実であり、謀反の計画は自らが主導したものと訴えて処断を求めたのです。しかし家康は一連の流れから考えて、数正が信康の身代わりになるつもりと判断します。ともに股肱の臣である忠次と数正の相反する主張は信康との距離感を如実に表すものであり、それは即ち信康が後継者として家中のコンセンサスを得ていないことの証左です。また短慮な信康が数正の苦しい胸中を忖度せず追い詰める結果をもたらしたことに怒りを覚え、信康を永対面禁止とする旨を数正に伝えます。これは事実上の廃嫡にほかならず、驚いた数正は急ぎ上洛して直談判に及びますが、家康の決心は変わりませんでした。数正は忠次の訴えには事実の誤認があるとして再考を願いますが、信康に叛心がなかったとしても周囲にそう思わせる軽率さがあったことは否定できず処置を誤れば全てが水泡に帰すことを説き、数正にも情に流されることなく天下泰平の世招来を第一義として引き続き仕えることを命じます。そして信康に自省を促し家康の真意を深く汲み取る心境に達したならば、対面禁止を解くにやぶさかでないと。家康としては長く片腕として貢献してきた数正に信康を改めて預け、何とか信康を生かす道を探ろうとしたのです。

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戦国時代

Posted by hiro