桶狭間後の今川義元 その34
消息不明となった足利義秋が毛利に庇護されているという噂はやがて将軍義輝の耳にも入ります。義輝は毛利輝元にこれを質しますが、輝元の答えは「そのような噂は聞き及んでいるが与り知らぬので調査する」というものでした。もし義秋が毛利領国に逃れたのが事実なら、輝元の指示でなくともそれを助ける勢力が存在しない限り不可能です。これを機に義輝の胸中には毛利に対する不信が芽生えることになります。
勝頼自ら長島へ
外交交渉によって時間を稼いだ武田勝頼は、盛夏を迎えると満を持して長島へ出陣します。これは叔父信廉らの反対を押し切ってのものでした。大軍を率いて迫ったものの木曾川を渡らず陣を築き始め、また武田水軍が海上を封鎖します。これには雑賀衆が鉄砲などの武器弾薬を海路運び込むことを防ぐ狙いがありました。下間頼旦は武田軍が兵糧攻めを企画していると判断します。確かに10万近い一揆勢の糧食は莫大ですが、大和が幕府側の手に落ちた以上伊賀ルートには心配がないことから頼旦は長期戦にも自信があったため、幕府に救援を要請しませんでした。夏も終わりに近づき天候が雨がちになっても武田軍に動きはなく、一揆勢の士気は次第に弛緩し始めます。烏合の衆とは言えないまでも、やはり統制の取れた戦国大名に比べると、その軍紀は遠く及ばないものだったのです。
長島殲滅
そんなある日、俄かに風が強まり雲行きが怪しくなると夜には風雨は次第に激しくなります。勝頼はこの時を待っていました。鉄砲は火縄や火皿が濡れると使い物になりませんが、扱いに慣れた一揆勢ならば予防措置を講じている可能性があり、少々の雨で火力が激減するかどうか不透明です。しかし豪雨に加えて強風となれば手の施しようがないでしょう。夜更けに出動した乱破部隊が一揆の砦で騒ぎを起こして後方を攪乱すると、武田軍は一気に押し出します。不意を突かれた一揆勢の混乱は甚だしく組織的な抵抗ができずに士気が阻喪、優勢な火力を全く発揮できずに蹂躙されます。武田軍は手当たり次第に一揆勢をなで斬りにして長島一帯は地獄絵図さながらと化します。一揆は四散しますが、伊勢路を逃れたものは穴山信君勢に捕捉されて多くが犠牲になります。こうして武装集団としての長島一向一揆は消滅することになったのです。
北信の風雲
鉄砲の弱点を見事に突いた勝利により勝頼の戦術家としての名声は大いに上がりましたが、いっぽうで一揆勢を老若男女問わず殺戮した非情さは、却って人心の離反を招くことになります。最も不快感を示したのが上杉謙信でした。幕府との和睦交渉を仲介させておきながら裏では長島一向一揆の殲滅を企画していた、つまりは時間稼ぎに利用されたと。正義感の強い謙信にとって、これは背信行為に他なりませんでした。謙信は早速幕府に勝頼成敗を奏上、出陣の準備にかかります。今回は一気に甲府を落として甲信を手中に収める決意でしたが、一抹の不安は北条の動向です。武田の本拠深くまで攻め込んだところで背後を遮断されると兵站が滞り、まさに袋の鼠になりかねません。そこで北条氏政に対武田での共闘を呼びかけます。氏政の返事は「上杉との相互不可侵を尊重し敵対はしない」というもので、これは謙信の想定範囲内でした。常陸の佐竹制圧に注力したい氏政としては、大軍を信濃に割かねばならない事態は避けたいところです。謙信にとっては北条の不介入さえ担保されれば上首尾でした。
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