
桶狭間後の今川義元 その32
武田が畿内を放棄したのち元号が天正に改元されますが、武田の領国は甲信駿遠三から尾張に及ぶ1 ...

桶狭間後の今川義元 その31
畠山高政の合力によって窮地を脱した松永久秀ですが、周囲を取り巻く情勢は厳しいものでした。別 ...

ゴルバチョフとプーチンの師匠アンドロポフ
1982年11月12日、ユーリ・アンドロポフがソ連共産党中央委員会書記長に就任しました。半 ...

桶狭間後の今川義元 その30
武田信玄の死によって当主となった勝頼は、信玄の遺言通り領国経営に専念して国を富ませることに ...

桶狭間後の今川義元 その29
清洲城に入った武田信玄の容体は落ち着き、諏訪勝頼に守勢に転じ領国を富まして捲土重来を期すよ ...

華国鋒の歴史的役割は?
1976年10月7日、華国鋒が中国共産党中央委員会主席に就任して最高指導者となりました。彼 ...

桶狭間後の今川義元 その28
宇喜多直家が児島を押さえたことで毛利水軍の制海権が揺らぐと同時に、摂津では荒木村重が城主池 ...

桶狭間後の今川義元 その27
武田信玄が京を放棄したことで畿内の反幕府勢力は大和と伊勢・志摩に限定されて大きく後退しまし ...

桶狭間後の今川義元 その26
関ケ原で大勝した幕府軍は余勢を駆って大垣城はおろか稲葉山城も奪還します。美濃国衆の動揺は激 ...

桶狭間後の今川義元 その25
将軍足利義輝は当初から関ケ原を決戦場と想定していました。そこで諏訪勝頼が大垣城に迫ると出陣 ...