ライマン・ボストック射殺事件
1978年9月23日、カリフォルニア・エンジェルスのライマン・ボストックが事件に巻き込まれて射殺されました。現役メジャーリーガーで、しかもエンジェルスの4番打者を襲った悲劇は日本でも報道されました。私は彼が前年ミネソタ・ツインズで同僚ロッド・カルーに次ぐ打率2位だったことを知っていたので衝撃を受けました。親族及び知人と車に同乗中、その知人が離婚申請中だった夫が信号で停止中の車に横付けして発砲したもので、ボストックは何の落ち度もないのに痴話喧嘩に巻き込まれてしまったのです。
彼は走攻守揃った好選手で慈善事業にも熱心であり、FAで高額契約したこのシーズン当初には自身の成績が振るわないことから4月分の給料返上を申し出るほど真面目な人格者でした。移籍初年度はやや期待を裏切ったとはいえ、長く中軸を打つはずだった彼の死はチームにとって大きな打撃になりました。
エンジェルスというチームは、この時代から補強が非常に下手で、大枚はたいて獲得した大物FA選手で額面通り活躍したのはドン・ベイラーくらいなものです。ロッド・カルーとレジー・ジャクソンは加入以前の成績と比べて物足りず、ボビー・グリッチは一年おきに好不調を繰り返す安定感のなさ。ジョー・ルディに至っては全く期待外れと散々です。加えてトレードでも大抵貧乏くじを引いています。その最たる例が80年オフシーズンに行なったボストン・レッドソックスとのトレードで、若手成長株の三塁手カーニー・ランスフォードに二人の選手を付けてレッドソックスの三遊間、ブッチ・ホブソンとリック・バールソンをそっくり獲得しました。ネームバリューで言えば明らかにエンジェルスが得したように見えますが、ランスフォードがいきなり首位打者に輝いたのに対してホブソンは二年間で135試合の出場にとどまって引退、バールソンも初年度こそオールスターに選出されたものの、その後は怪我に苦しんで出場機会が激減という有様でした。
ボストックの場合、その死は突然降りかかった災難以外の何物でもないので彼に責任はありませんが、チームにとっては出資に対する見返りは殆どなかったと言えます。しかし不幸な事件が彼の命を奪うことがなかったならば、そのシュアな打撃で毎年首位打者を争うような選手になっていたのではないかと思うのです。まだ27歳でしたからね。もちろん彼に同情する気持ちから贔屓目に見ていることは否定しません。
Lyman Bostock The Inspiring Life and Tragic Death of a Ballplayer【電子書籍】[ K. Adam Powell ]価格:5,801円 (2022/9/20 13:41時点) 感想(0件) |
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません