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史上最高の捕手

12月7日はジョニー・ベンチの誕生日です。捕手としての史上最高を選ぶ場合、どんなメディアでも真っ先に名の上がるレジェンドです。捕手は守備の要であり、打撃よりも守りが重視されるのは当然で、歴代多くの名手がいますが、ベンチは卓越した守備力に加えてパンチのある打力も魅力でした。なにせ本塁打王を獲得した捕手は彼が20世紀唯一ですからね。

パンチョ伊東さんがパ・リーグ職員時代、メジャー昇格前のベンチを見て驚き、スクープとして「ロイ・キャンパネラの再来が現れた」というレポートを送ったものの、大袈裟だと一笑に付されボツにされた経験を語っていました。その後の活躍で評価の正しさが証明され、非常に鼻が高いと述懐していましたね。

ベンチは1978年にビッグレッドマシンの一員として来日しています。すでに本塁打王を2度、打点王を3度、ゴールドグラブに至っては10年連続で獲得しており、押しも押されぬスーパースターでした。この時のシンシナティ・レッズは非常に強く、のっけからジョージ・フォスターが後楽園球場左中間後方の看板を直撃する、あわや場外かという一発を放って驚かされました。ベンチも17試合で9本塁打とパワーを見せつけましたが、それ以上に守備での日米格差を感じさせましたね。膝立ちのままでの矢のような三塁送球、巨体を感じさせない俊敏さ、捕球の巧さと全ての面で日本プロ野球の標準とはかけ離れたレベルでした。毎年多かれ少なかれアメリカから助っ人が来日してプレーしていたとはいえ捕手は皆無に等しいですから、日本の野球ファンが最も技術の差を感じたのは捕手守備だったのではないでしょうか。

彼は当時まだ30歳でしたが、過酷な捕手というポジションのためか打撃成績は全盛期には遠く及ばないものになっていました。しかし日本の狭い球場での柵越えなどは造作ないことだったでしょう。ゴールドグラブも連続10年で途絶えており、その後は一塁や三塁での出場が増えているので全盛期は過ぎていたと思われます。まあ普通にプレーしているだけでも日本で普段見られるレベルを遥かに凌駕していたということでしょう。一緒に来日したピート・ローズは「もし今、日本でプレーしたなら間違いなく自分が首位打者だ」と語っていたほど彼我の差は歴然としていたのです。

あれから半世紀近く経ち、日米の差は縮まりましたが逆転はしていない、と言うより逆転することは永遠にないでしょう。大谷翔平選手の活躍は、傑出したアスリートが出現する可能性は人種や民族を問わないことを証明しましたが、それは彼がたまたま日本人だったというだけです。WBCでどこが勝ったかなど関係ありません。巨大なマーケットを有し、世界中の野球選手がその舞台に立つことを夢見るMLBが存在するアメリカが最高峰であることに疑う余地はありません。

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Posted by hiro