横浜弁などない?
昨日テレビの旅番組を見ていたところ、気になる場面がありました。小田原を散策していたのですが、ゴミ集積所の案内板に「もせるごみ」と表記されていたのです。出演者は全員「もやせる」じゃないんだと驚いていましたが、私は祖父母が使っていたのを突然思い出したのです。今ではすっかり聞くことがなくなったので忘れていましたが、間違いないです。同じ県内でも横浜では絶滅したものの、小田原では生き残っているということなのでしょう。
祖父母が使っていた言葉で死語と化したものは他にもあります。例えば「たんと」がそうです。これは量の多さを示す表現で「たんと食べなさい」のように使っていました。ただ母の口から聞いた記憶はないので明治生まれで途絶し、次世代には受け継がれなかったということになります。
調べてみたところ「たんと」は仙台弁! とされていました。地理的に離れていますし身内に東北出身者もいないので何故かはわかりませんが、ひょっとすると昔はかなり広範囲で使われていた可能性もありますよね。何らかの理由で淘汰された地域独特の表現(つまり方言)がかなりあるはずです。
では何らかの理由とは何かを考えると、明治から昭和にかけての標準語制定の動きがあります。これと文壇の言文一致運動が相まって共通語化が進んだと。それでも方言がなくなることはなかった。つまり使い分けているということです。学生時代の友人に青森出身の男がいました。多少の訛りはありましたが普通に会話でき、意思疎通に全く問題なかったのですが、彼が実家と電話で話している時には何が何だか全くわかりませんでした。殆ど外国語レベルだったです。横浜に生まれ育った私には驚愕ものでしたが、バイリンガルが多国語を操るのと似た感覚なのかもしれません。
そもそも文語と口語が違うのは当然です。現代でも日常会話と同じ文言で手紙やブログを書く人は皆無でしょう。口語のほうが砕けた表現で省略が多いのは今も昔も変わらないはずです。古より外交には文書を使うわけですから、それは当然意思の疎通に問題なくて然るべきです。つまり文語には共通語が存在していたのです。にも拘らず方言がなくならなかった理由は文盲率の高さでしょう。読み書きできない人間が殆どだった時代、文語は彼らにとって全く意味のない存在だったわけです。
一時期「じゃん」が横浜弁とされていました。今では否定されているようですが、おしゃれな街という作られた横浜のイメージへの憧れから一気に広まって全国区になりました。「じゃん」に限らず横浜独自の方言はないという見方が大勢のようです。私にとっては「じゃん」が横浜弁かどうかはどうでもよく、少なくとも祖父母の世代が普通に使っていたという事実があるのみです。
私の職場にはアルバイトの学生がかなり来ていますが、彼らと会話すると自分が若いころに使っていた表現が既に死語と化していると感じることがままあります。例えば「凄く、たいへん」という意味で使っていた「超~」は、今では「めっちゃ~」に置き換わっているようです。枚挙に暇はないですが、ネット時代の現代より遥かにスローライフの昔でも、流行り廃りはあったでしょう。ダサいと思われれば死語となりますが、クールと思われ続ける限りは存続する、そういうことかもしれません。
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