フロイド・バニスター
6月10日はMLBで133勝上げた後ヤクルト・スワローズでプレーした左腕、フロイド・バニスターの誕生日です。彼の投球を初めて見たのは1979年にMLB選抜の一員として来日した際でした。76年のドラフト全体1位指名選手で、アリゾナ州大時代に日米大学野球選手権に出場して日本の打者をきりきり舞いさせたことも知っていました。アリゾナ州大と言えば当時USCと並ぶ米大学野球の強豪でレジー・ジャクソンやリック・マンデイ、サル・バンド、ラリー・グラ、後にはボブ・ホーナーやバリー・ボンズも輩出しています。鳴り物入りでヒューストン・アストロズに入団した彼は、将来を嘱望される本格派左腕だったのです。
この時の印象は荒削りな力投型というものでした。球速は142kmくらいでしたが、ミットにズドンと突き刺さるような如何にも重そうな球でしたね。それでも当時日本の球速表示は右腕に比べて左腕は著しく数字が出ないのが一般的で、左腕で140kmを超えることは稀でしたから十分速かったのは確かですが…
次は83年のシカゴ・ホワイトソックス時代です。前年シアトル・マリナーズで初のオールスターに選ばれ最多奪三振のタイトルを獲得し、大いに商品価値を上げてのFA移籍でしたが前半戦は不調をかこっていました。しかし、このニューヨーク・ヤンキース戦では奪三振王としての面目を躍如する快投で三振の山を築きます。終盤デイヴ・ウィンフィールドに一発を浴びるものの、強打のヤンキース打線を力で捻じ伏せる快投でした。速球は優に150kmを超えていたのではないかと思います。結局このシーズン後半戦は9連勝を含む13勝1敗という好調ぶりでキャリアハイの16勝を上げることになります。
このバニスターが90年にヤクルト・スワローズでプレーすると知ったときには驚きました。楽しみではありましたが、全盛期の快速球を望むべきではないだろうと過剰な期待を寄せないようにはしていました。加齢に加えて前年肩を手術したという情報もありましたし、それがなくとも86年以降奪三振率が3割以上低下していたので球威が衰えていることは想像に難くなかったのです
スワローズのユニフォームでマウンドに立ったバニスターを注視していると顎がしゃくれ気味の彼が、その顎をさらに上げて豪快に投げ込むフォームは全盛期と変わらぬものでしたが、如何せんボールが行かない… そのフォームに比して思いのほか遅いので、打者にとってはナチュラルなチェンジアップになっているのかと目を疑うほどでした。それでも粘りと気迫で3連勝スタートするものの、やはり左肩が思わしくなく6月に解雇されて退団という結末になりました
想定の範囲内だったとはいえ、全盛期の快投を目の当たりにした私としては寂しく感じました。どんな選手にも落日が訪れることは避けられません。彼の場合成績でスワローズに貢献はできませんでしたが、その練習に対する真摯な姿勢が大きな影響を与えたと当時の安田猛投手コーチが証言しています。きっと後年黄金時代を築く礎となる置き土産をチームに残していったのではないかと考えると、やはりMLBでの実績は伊達ではなかったと言えるでしょう。
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