JR福知山線脱線事故
2005年4月25日午前、私は母といっしょにテレビを見ていました。まずJR福知山線で事故との速報テロップが入り、暫くすると現場からの空撮映像に切り替わりました。当初踏切事故とレポートされていましたが、映像を見る限り近くに踏切はありません。私は母に向かって「これ踏切事故じゃないよ」と教えましたが、何が起きたのかは判然としません。脱線してマンションに突っ込んだのは間違いないように見えましたが、対抗車両に衝突されたのかもしれないと思うほど信じられない状況でした。
事故の詳細が明らかになったのは、かなりの時間が経過してからでしたが、初動で救出活動に当たった人たちに警察や消防よりも一般の近隣住民が目立ったことには感銘しました。巻き込まれた自動車が多かったのでガソリン漏れからの出火を危惧していましたが、危険を顧みず懸命に救出に当たる姿を見て阪神淡路大震災の記憶が風化されず貴重な経験になっていると認識したものです。
もうひとつ驚いたことがあります。それは被害者遺族の中に、報道陣に対して遺体の悲惨な状態をあからさまに話している人がいたことです。これには愕然としました。勿論やり場のない怒りと悲しみをぶつけてしまったのでしょうが、私には理解できなかったのです。車両が鉄板みたいに圧縮されてしまったのですから、内部の状況が目を覆うばかりなのは容易に想像できます。にもかかわらず敢えて被害者の変わり果てた姿を白日の下に晒すなど、その尊厳を損なう気がして私には絶対できません。
概して日本人の場合、近親者を事件や事故で失った遺族は怒りや悲しみを胸中に閉まって押し殺し、取り乱すまいと努力しているケースがほとんどです。それを美徳とする感覚は日本人に少なからずあると思いますし、健気に振舞う姿を見ると個人的にも共感を覚えます。同じアジア人でも韓国などは人目を憚らず慟哭し、感情をストレートにぶつける人が多いように感じます。このあたりにも国民性の違いが垣間見える気がします。
事故後の調査で様々な間接的原因が指摘されたものの、直接的には運転士の過失が引き起こしたことは疑いようがありません。ある意味運転士は多数の乗客を道連れに命を落としたことで責任から逃避できたかもしれませんが、その家族はそうはいきません。おそらく一生この事故の記憶に苛まれることでしょう。それを考えると胸が痛みます。
もうひとつ、この事故の教訓として決して忘れていないことがあります。それは先頭車両には絶対乗らず、真ん中より後ろを選ぶことです。このような事故に巻き込まれる確率は天文学的に低いとは思いますが、出来得る限りの自己防衛手段です。コロナ禍もあって電車に乗る機会は滅多にありませんが、それでも常に意識し心掛けています。
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