三国時代の転換点
皆さん「三国志」の登場人物で誰が好きですか?。吉川英治さんの『三国志』は中学時代以来、何度も読み返しました。とにかく広い中国を舞台に数多の英雄たちが縦横無尽に活躍する群像劇は面白いことこの上ない。あまりにも持ち上げる人物と貶める人物がはっきり色分けされているきらいはありますが、そこはあくまで『三国志演義』が題材ですから仕方ないですよね。『正史三国志』と比べると陶謙、劉表、劉封などは小者扱いされていますし、諸葛亮や趙雲などは活躍が誇大に描かれています。
私が好きなのは関羽です。諸葛亮は子供が読んでもにわかに信じがたいエピソードが満載で人間離れした描写がされていますが、関羽はそこまでではない。一騎打ちに強かったのは史実通りですし、忠義に篤い武人という一般的な評価は『正史三国志』を読んでも変わらないですね。
関羽は張飛とともに若年の頃から劉備を支え、赤壁の戦い後荊州南半を領した劉備が入蜀すると留守を預かるまでになりますが、魏呉の経略にはまって戦死、荊州を失陥することになります。そもそも諸葛亮の「天下三分の計」は荊州の確保を前提にし、そこから蜀を押さえて鼎立するというものであり、水運の要衝が多く広大で人的資源も豊富な荊州を失ってはその戦略自体が成り立たないことになります。つまり蜀の頽勢はこの時点で明白なのです。
何故そのようなことになったのか?関羽は武人としては勿論のこと、軍司令官としても有能だったのは確かですが、魏呉に挟まれた重要地である荊州を託されるのは荷が重すぎたこともあります。しかし当初は諸葛亮が関羽を扶けるべく荊州に残っていたのです。諸葛亮が劉備のもとに馳せ参じざるを得なかった理由。それは劉備とともに入蜀していた龐統の戦死です。
諸葛亮と「臥竜鳳雛」と並び称されたほどの才能を持っていた龐統は、諸葛亮より仕官は遅いながらも急速に劉備の信頼を得ていました。だからこそ諸葛亮を荊州に残せたのでしょう。成都に入る前の段階でその龐統を失ったがために、諸葛亮を呼ばざるを得ない状況に陥ったわけですが、それも関羽に対する劉備の信頼があったからでしょうね。諸葛亮がいなくても大丈夫だと…
魏呉の経略は非常に巧妙なものでしたが、諸葛亮がいればおいそれと嵌ったとは思えませんし、魏呉もより慎重に動かざるを得なかったでしょう。呉としては劉備を全面的には信頼していなかったかもしれませんが、表立って敵に回すことは避けたかもしれない。また劉備も蜀を手に入れた後、涼州も確保して長安を窺う段階になれば呉への荊州返還に応じていた可能性もありますね。劉備も孫権も単独で曹操に当たるのは避けたいと思って当然ですから。結局劉備は関羽を騙し討ちにした孫権を許せず出兵して大敗し、それが魏を利することになるわけです。
もし龐統が健在ならば荊州の失陥はなく、諸葛亮の「天下三分の計」は順調に進んでいたでしょう。史実ほど人口と人材の不足に苦しむこともなく、うまく呉と共同歩調が取れれば魏を滅ぼせたかもしれません。そうなると淮河を境に蜀呉での南北朝時代到来という可能性もあったのではないかと考えています。
余談ですが『三匹が斬る』ご存じですよね? 勧善懲悪の痛快な時代劇ですが、高橋英樹さん演じる「殿様」と役所広司さん演じる「千石」、あの二人が何故か関羽と張飛にダブって見えるのです。高橋関羽と役所張飛… 結構いいと思いません? 今からではちょっと遅いか…
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コメント一覧
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Cheapest Digital Books様、ありがとうございます。
日本には「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。誰でも好きなことに労力を費やすのは苦にならないという意味です。
私は学者ではありませんが、単なる歴史好きが高じて蘊蓄を述べる知識を培っただけのこと。評価していただき光栄に思います。