海道一から天下一へ その43
北条軍の激しい抵抗に遭った北方軍と対照的に徳川家康率いる本軍は、無傷のまま小田原城の包囲に取りかかります。当初から鉄壁の小田原城を力攻めする気は毛頭なく、長期の持久戦を想定していました。
水軍の動向
しかし海上では家康が予期していなかった事態が起きていました。安房の里見義康が水軍を動かさずに陸路北上していたのです。家康としては里見水軍が小田原封鎖に加わるとともに、三浦半島に上陸して東から圧力を加えることを期待していました。ところが義康は、守勢に立たされている北条が反撃できないことを見越して総州を席巻してしてしまおうと考えていたのです。そのため清水港に集結していた四国勢で編成された幕府水軍は、駿河湾と相模湾に配された強力な北条水軍に挟撃されることを恐れ、まずは伊豆の北条水軍拠点攻略を優先することになり、早期の小田原海上封鎖は難しくなります。
氏照、武蔵に後退
弟北条氏邦との挟撃策が不発に終わった氏照は、それでも幕府軍に痛撃を与えることを諦めていませんでした。幕府軍が氏邦の箕輪城を落としにかかるならば背後を襲い、素通りして小田原を目指すなら氏邦と再度連携して迎撃しようと目論んだのです。ところが小田原からは南下して包囲軍に圧力をかけるよう求められ思案します。もし箕輪城が包囲されれば氏邦は苦境に立たされるので、氏照としては何としても救援したいところです。そこで取り敢えず鉢形城に戻って情勢を窺うことにします。
秀康初陣
長期戦を前提に小田原の包囲体制を整えた家康は、いたずらに攻め立てる気はありませんでした、眼前の小田原城はこれまで見たことのない規模の巨城であり、まさに難攻不落が看板倒れでない威容を誇るものでした。力攻めすれば、落とすまでに幕府軍の損害が甚大なものになることは容易に想像できます。そこで家康は、長滞陣の間に小早川秀康の初陣をいかに飾らせるかを考えていました。実戦で将帥としての器を試そうということで、命じたのは足柄城の攻略でした。山中城の拡充で西の抑えとしての価値が減少した足柄城主北条氏光は小田原城に詰めており、僅かな留守部隊が残っているだけです。家康は大久保忠世を軍監として伴わせ送り出すことになります。
足柄城奪取
足柄峠を見下ろす位置を占める足柄城には、街道を進めば自ずと行き当たります。忠世は豪気な秀康が遮二無二城を落としにかかるかと危惧していましたが、豈図らんや秀康は策を講じます。彼はすでに家康が無駄に兵を損じることを好まないと理解していたのです。まずは山中城から足柄城救援の軍勢が出立したとの流言を放ちます。そして城下に軍勢を曝して敵が積極的に攻撃してこないと見て取ると、今度は救援軍が仙石原で幕府軍に殲滅されたと触れ回ったのです。これらは自軍の忍びを北条の乱破に仕立てて行ったものでした。その後矢戦を仕掛けて反応がないと確かめると、秀康勢は何の抵抗も受けずに城を占拠したのです。城兵はすでに退散していました。忠世は武勇だけにとどまらない秀康の器量に驚き、これを家康に報告します。家康は大いに満足して秀康の評価はさらに上がることになるのです。
| [完成品] 足柄城(南足柄市矢倉沢) 日本の城 お城のジオラマ模型 プラモデル 城郭模型価格:39500円 (2026/6/28 03:20時点) 感想(0件) |






ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません