羊の皮を被った狼?ポンピドゥー
1969年6月20日、ジョルジュ・ポンピドゥーが第19代フランス大統領に就任しました。フランスの英雄シャルル・ドゴールを腹心として長く支えて官房長官や首相を歴任し、ドゴール引退後の大統領選挙で所謂ゴーリストの中心人物として圧勝した結果です。以後白血病で在任中死去するまでの5年間、それまで左右両派の対立から不安定でキナ臭かった国内情勢は落ち着きを見せ平穏でした。
日本ではほとんど忘れ去られた存在と言えるポンピドゥーですが、私は強く印象に残っているんですよね。まあ物心つき始めたころに世界を引っ張っていた指導者たちの名は、幼いころから知識欲旺盛だった私は大体記憶していますが、ポンピドゥーは中でも際立った存在でした。その最大理由は姓です。当時のメディアは例外なく「ポンピドー」と表記しており、その響きが何とも可笑しかったのです。それから、その風貌。特徴的な太い眉毛がコミカルで笑え、好々爺のイメージ。ヨーロッパの上流階級というよりは、そのような貴族に仕える老執事といったところでしょうか。人物像や事績とは全く関係ないところがツボにハマったというわけです。
しかし当時の演説や記者会見を見ると、気宇壮大で自信に満ち溢れ、威厳を感じさせます。一口にゴーリストと言ってもそのバックボーンは様々であり、右翼から左翼まで多岐にわたります。ドゴール主義は基本的に反共であるいっぽうで反米かつEC(欧州共同体)とも距離を取るという言わば自国ファーストですからね。ドゴールのカリスマもあって成立していた部分も少なくないですから、これを糾合するのは並大抵のことではないはずです。しかもポンピドゥーの場合、首相として五月革命の鎮静化に大きな役割を果たしながらも、その座を追われているんですよね。にもかかわらず、その後1年で後継者の地位を固めていることを考えると、人望はもとより極めて高い政治力を備えた傑物だったのかもしれません。その柔和な容貌の裏に鋼鉄の意志と指導力、政局に強い寝業師という側面が隠されていたとしたならば、毛沢東時代に度々失脚しながらも復活して毛の死後最高指導者に登り詰めた鄧小平のような人物だったのではと想像してしまうのです。
ポンピドゥーが単なるドゴールの追従者ではなかったことは確かです。ドゴールが頑なに拒んだイギリスのEC加盟を支持して実現したことが証左でしょう。彼の大統領在任中のフランスにはトピックと言えるような出来事はないに等しく、これはそれだけ政権運営に瑕疵がなく安定していたことを示します。近代芸術に造詣が深く、パリを芸術の中心地に復活させることを強く望んだ結果として分野横断的な近現代芸術拠点の設立を構想し、その死後ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター(ポンピドゥー・センター)としての落成が、後世に残る最大の業績というのも象徴的です。73年に起きたオイルショックへの対応に追われる中での突然の死が、繫栄を謳歌した栄光の三十年間の幕引きを予見させるもの、つまり終わりの始まりだったような気がします。オイルショックが世界経済に与えた影響は計り知れず、金融畑出身の彼がどんな手を打ったにせよ効果は限定的だったでしょう。栄光の三十年間終焉を目の当たりにせず世を去ったことは却って恵まれていたのかもしれず、何か運命的なものを感じます。
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