地球の静止する日
先日、映画『地球の静止する日』を初めて見ました。いろんな意味で考えさせられました。半世紀以上前の作品ですから少々滑稽に思える部分もありますが、時代背景的に致し方ないところです。
この映画が製作された1951年というと、すでに冷戦構造がはっきりして核軍拡競争に入っている一方、宇宙探査はおろか人工衛星さえ打ち上げには至っていません。つまり地球外の実態は何もわかっていないということです。主人公の宇宙人クラトゥは「4億キロ離れたところから来た」と話しています。これは火星と木星の間に当たるので、太陽系内からの来訪です。他の惑星に生命体が存在するかもしれないと考える人が、少なからずいたことの証明でしょう。
クラトゥが住む世界では、ロボット「ゴーダ」に全能の力を与えて秩序を乱す者を徹底的に排除することで平和を維持している。人類が核兵器の開発を進めるならば重大な脅威と捉えて滅ぼすとの警告が使命だったわけですが、彼に対する人類の対応は身の程知らずなものです。こちらからは到達できない天体からやって来るという事実だけでも科学技術に雲泥の差があるのは明白ですから、敵視しては我が身を滅ぼすだけです。そこに思い至らないのは人類の驕りに他なりません。
私はこれまでAIの発達を危惧していました。いったいどこまでをAIに委ねてよいものか? その線引きが非常に難しい。しかしこの映画を見てクラトゥ達が「ゴーダ」に全権を委ねるように、AIに任せてしまうのも有りではないかと… ウクライナ危機に直面している現在、人間がエゴというものを完全に消し去れない限り戦争は無くならない。殆どの人間がエゴを克服できたにしろ、たった一人の錯誤が人類を危機に陥れることを世界中が痛感しています。人類滅亡の危機に最も近づいた冷戦時代を乗り越えた私たちですが、今回の危機が悪しき先例となって、武力でエゴを充足させようとする指導者が現れる可能性が高まったのではないでしょうか。
戦争以外にも破局噴火、小惑星の衝突など人類がすぐさま滅亡の危機に瀕する懸案事項は、いずれ必ず発生します。それでもごく僅かな生き残りが再起するでしょう。しかし、それがもたらす文明の後退で人類の命運が尽きるかもしれません。なぜなら太陽の膨張によって地球が消滅する日がやってくる。それまでに地球を脱出しない限り人類も居場所がなくなる。そう考えると人類の未来については悲観的にならざるを得ません。
それにしても半世紀以上前の映画が、現在私たちが直面している危機を暗示するものとは思ってもいませんでした。正直驚きです。一般庶民にできることは何もないかもしれませんが、世界の指導者たちは肝に銘じて欲しいですね。終末はすぐにでも訪れる危険があることを…
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