ブラウ作戦とスターリングラード
1942年9月13日、スターリングラードを包囲していたドイツ第6軍が市内に突入を開始して4ケ月余りに及ぶ市街戦が始まります。独ソ戦の趨勢を決定づけたスターリングラード攻防戦です。一本の路地、建物の部屋ひとつひとつを血眼になって奪い合う凄絶な戦いは、両軍に夥しい数の犠牲者を出しました。史上最大の市街戦とされる所以です。
この戦いが生起した原因であるブラウ作戦の主目標はバクー油田であり、スターリングラードは副次的目標だったにもかかわらず、アドルフ・ヒトラーがその占領に拘ったことが敗北に繋がったのは確かでしょう。また第6軍と行動を共にしていた第4装甲軍をバクー占領を目指すA軍集団の支援に向かわせたことも、ヒトラーの致命的な判断ミスとされています。しかし主目標がそちらである以上、これは理解できます。問題なのは再び第6軍との合流を命令したことでしょう。これによってドイツ軍の戦略主眼が曖昧になって戦力が分散し、二兎を追う者は一兎をも得ない結果を招いたと思います。
もちろんバクーまで到達するのは容易ではなく兵站の維持も困難ですが、だからこそ戦力を分散させずに集中運用することが必須です。もし第6軍にスターリングラードを包囲するだけに止まらせても、バクーを押さえて補給路を断てば何れ自落するだけでなく、中東の英軍が脅かされることで一進一退の北アフリカ戦線にも大きな影響を及ぼすという極めて高い戦略的価値があります。ヒトラーは自らを軍事指揮官としても天才と思っていたかもしれませんが、彼の判断はただのヤマ勘にしか思えません、
資源に乏しいドイツですからブラウ作戦自体は戦略的に理に適っていると思いますが、戦術的にはどうでしょう? 主目標を変更して戦力を分散し、補給をさらに困難なものにしたわけです。第4装甲軍をA軍集団に加えてあくまで主目標はバクー攻略であることをはっきりさせ、第6軍には市内に突入させずにソ連南西方面軍がA軍集団を北カフカス方面軍との挟撃を図る事態に備えて温存するべきだったでしょう。このあたり作戦指導の不徹底は日本軍にも通ずるものがあります。ただコンセンサスが必要な日本と決定的に違うのは、ドイツはヒトラーの鶴の一声でいかようにもなることです。独裁が唯一優れている部分は意思決定の速さですからね。トップが軍事的天才ならば、それが大きなアドバンテージになりますがヒトラーはその器でなかったことは明白です。
古より兵站は重要視されていました。名将に兵站を軽視した人物は皆無です。もしヒンデンブルクかルーデンドルフだったら、ブラウ作戦は当初の目的を完遂できたかもしれません。そうなれば再度モスクワを目指して北上し、今度こそ落とせた可能性があります。が、そこまででしょう。米英の大陸反攻が迫っている段階では遅きに失したと言わざるを得ません。やはりバルバロッサ作戦が失敗した時点でヒトラーの命運は定まったと考えます。
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