トム・プライス
1977年3月5日キャラミでの南アフリカGPにおいて、ウェールズ出身のF1ドライバーであるトム・プライスが事故死しました。このニュースは日本の大手新聞にも掲載されましたが、その事実を伝えるのみで詳細はわかりませんでした。この事故の衝撃的な内容を知ったのは、翌年公開された映画『ポール・ポジション』を見に行った時です。コースを横切ったマーシャルを撥ねた際、彼が持っていた消火器がプライスを直撃して二人とも即死という悲惨さでした。300km近くで疾走するマシンに人間が撥ねられたらどうなるかなど想像したこともなかったですが、凄まじいものでした。高速回転したマーシャルの体はゴムバンドのように信じられないほど伸び切って地面に叩きつけられたのです。このとき彼の体が千切れたかどうかが話題にもなりました。私には遠心力で伸びてしまったように見えましたが、後年別角度からの映像を見る限り千切れてしまったようですね。人間の脆さを痛感します。
プライスもまた酷い状態でした。長髪でロックスターのような雰囲気を醸し出すハンサムだった彼の高い鼻が、ペッタンコに潰れてしまっていたのは衝撃でした。疾走中にある程度の重量物がぶつかったら、ヘルメットなど何の役に立たないと思い知りましたね。
彼は速さと堅実さを兼ね備えたドライバーで、将来を嘱望されていました。シャドウで前年までコンビを組んでいたジャン=ピエール・ジャリエはムラッ気でレースマナーが悪いものの、時としてとんでもなく速いという意外性のあるドライバーでした。序盤戦こそ予選でジャリエに後れを取るものの、徐々に速さで上回っていくのがパターンだったと記憶しています。リタイアの多いジャリエに比べて完走率も高く、リザルトでは圧倒していました。これにはなかなか戦闘力がアップしないマシンに、ジャリエがモチベーションを保てなかったという側面があったようにも思います。
クレバーなファイターだったプライスは、ブランズハッチでのノンタイトル戦でハットトリックを達成するなど次代を担うホープとして期待されていました。ジェイムス・ハントがこの年を最後に失速したことを考えると、プライスの事故死はイギリスにとって痛恨事だったでしょう。後釜に座ったアラン・ジョーンズがオーストリアGPでシャドウ唯一の優勝を飾って飛躍のきっかけを掴み、ウィリアムズ移籍後チャンピオンにまで上り詰めたのですから尚更です。もしプライスが、この不運極まりない事故に遭遇せずシーズンを全うしていたら、シャドウを優勝に導いたのは彼だったかもしれません。それがなくとも翌年にはロータス、翌々年にはウィリアムズのシートを射止めることができたかもしれず、その場合イギリスはナイジェル・マンセルまで待つ必要はなかったのではとさえ思います。
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