フライング・スコット
1968年4月7日、ホッケンハイムでのF2レースでジム・クラークが事故死しました。当代最高のドライバーの死はとりわけ同僚に大きな衝撃と動揺を与え、クリス・エイモンは
「悲しみの裏に、皆一様に感じている恐怖がある。彼までがああいう目に遭うのなら、残された我々の生き残れるチャンスは一体どのくらいあるのだろう」
と仲間たちの気持ちを代弁しています。彼の死は、おざなりにされてきた安全性の向上を求めるドライバーの声を一層強くすることになります。
アイルトン・セナの登場以前、天才ドライバーと言えば真っ先に名の上がるのがクラークでした。天性のナチュラルな速さという意味ではセナ以上だったかもしれません。私はもちろん彼の走りをリアルタイムで見ていませんが、その戦績と様々な証言やエピソードを俯瞰してみると、真に天才と呼べるF1ドライバーはクラークとセナ、そしてその芸術的なマシンコントロールと神業的なテクニックにおいてジル・ヴィルヌーヴの三人だけと考えています。
よく言われることですが、通算33回のポールポジションと25勝を上げた彼は、たった一度しか2位になっておらず、これはマシンにトラブルでもない限り彼の前でフィニッシュするのは事実上不可能だったことを表しています。ポールトゥウィンも15回を数えセナ同様典型的な先行逃げ切り型だったことを物語りますが、そのいっぽうでファステストラップも28回記録しており、これは必要とあらばいつでも誰よりも速く走れたことを示唆します。グランドスラムに至っては歴代最多の8回に及び、2位のルイス・ハミルトンが6回であることを考えると圧倒的です。当時のGP開催数は現在の半分ですからね。
反面、セッティングの決まっていないマシンに乗っても難なく乗りこなしてしまうため、熟成が進まないとメカニックを嘆かせたといいます。天才肌のドライバーにはありがちな話ですが、タイヤには誰よりも優しいドライビングだったとの証言もあり、彼の場合単に腕っ節でマシンを捻じ伏せるわけではなかったことがわかります。これは彼と同じセッティングでタイムを出せるドライバーはいなかったということでしょう。天才たる所以ですね。
そんなクラークがモナコで一度も勝てなかったのは不思議です。6回出走したうち実に4回ポールを獲っているので、殊更苦手だったとは思えません。もっともモナコが大好きというドライバーはいないでしょうし… モナコが得意とされるドライバーにしても、それはあくまで相対的なものに過ぎません。不運が6回続いただけと見るべきで、全盛期にあったホッケンハイムでの事故がなければ遠からず勝っていたのではないでしょうか。
クラークの才能に疑問の余地はなく、今でも史上最高のF1ドライバーとする声もありますが、彼が常に最速のマシン(信頼性は別として)に乗っていたことを差し引いて考える向きもあります。確かに事実でしょうが、その戦績以上にライバルたちを圧倒して比肩されることを諦めさせるほど完全に時代を支配していたのもまた事実です。たった72戦で成し遂げた偉業でさえ、その類稀な才能に見合うものではないと考えます。モーリス・ハミルトンはF1でのクラークは、その才能の片鱗を見せただけとしてBSCCにおけるロータス・コルティナでの走りこそ真骨頂と絶賛しています。残された僅かな映像から窺い知ることはできませんが、一体どれほどの凄さだったのか想像が膨らみます。
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