野蛮だったアルゼンチンサッカー
1916年7月2日、第1回サッカー南米選手権がアルゼンチンで開幕しました。優勝したのはウルグアイで開催国アルゼンチンは2位に甘んじましたが、南米選手権・W杯ともに初代チャンピオンがウルグアイというのは興味深いですね。
歴史を紐解くと、ホーム&アウェイで行われた3回を除く41回中22回と開催国の優勝が過半を占めています。コパ・アメリカと呼ばれるようになって以降は確率が激減していますが、これには何か理由があるのでしょうか?
19世紀に相次いで独立を果たした南米諸国は常に領土問題を抱えており、度々戦争を経験してきました。敵愾心を燃やすサポーターも多かったでしょう。サッカーは言うまでもなくどの国でも国民的スポーツですから、ピッチ上が代理戦争の場と化したであろうことは容易に想像できます。つまり現在よりも遥かにホームアドバンテージが大きかったと思われます。実際荒れた試合も多く、大会は67年を最後に中断されて75年にコパ・アメリカとしてホーム&アウェイで再開されることになるのですが、この過程に大きな影響を与えたのが実はアルゼンチンなのです。
当時からブラジルのサッカーは芸術的で美しく創造性に富んだものでしたが、アルゼンチンは個人技に優れながらも泥臭く、手段を選ばぬ野卑さを持っていました。ラフプレーも多く、そのダーティーなプレースタイルは国際的にも評判が非常に悪かったので、試合が荒れる元凶になっていました。
アルゼンチンはウルグアイと並ぶ15回の優勝を誇りブラジルの9回に大きく水をあけていますが、W杯での初優勝は地元開催の78年ですでにブラジルは3回、ウルグアイは2回優勝しています。大陸レベルでは最強クラスなのに世界の舞台で後れを取っていたのは、まさしくこのプレースタイルに原因があったのではという気がします。つまり組織的でフィジカルに勝る欧州の強豪には通用しなかったと。反対にブラジルのサッカーには、それらを打破する創造性があり、常に互角以上に戦えたのだと思います。AはBが苦手、BはCが苦手なのでCはAに勝るという方程式が成り立たないことは、どんな世界にもあることです。ウルグアイについて言えば、優勝はいずれも黎明期のものであり、その後地盤沈下していることからアルゼンチンのサッカーに近かったと想像できます。
セサル・ルイス・メノッティがブエノスアイレスのビッグクラブ偏重の慣習を改めて地方のクラブから代表を抜擢し、非常に攻撃的かつスピーディーなサッカーでW杯を制覇して以降、アルゼンチンのサッカーにかつて野蛮さで不評をかこった面影は見られません。しかし唯一名残に思えるのは、足が掛かっていないのにファウル欲しさで倒れ込むような場面ですかね。南米の選手は演技力が総じて巧みですが、アルゼンチンは殊更大袈裟に見えます。
アルゼンチンのW杯初優勝まで苦節半世紀近く、その間のサポーターの忸怩たる思いは想像に余りあります。さらに半世紀近くを経て優勝国に仲間入りしたのはフランスとスペインのみです。この先半世紀で初優勝を果たす国はあるかもしれませんが、それがアジアやアフリカ勢である可能性は低いでしょう。欧州にはオランダのように長らく強豪として確固たる地位を築き、優勝候補の一角に名を上げられながらも悲願を果たしていない国もあります。これらのことを考えると日本代表の道のりはまだまだ遠いと言わざるを得ないでしょう。
Jリーグの発足から30年、日本のサッカーは着実にレベルアップし世界に伍して戦えるまでに進歩したことは認めます。しかしW杯でドイツやスペインを破ったとは言っても、それは一つのリザルトにしかすぎません。富める国である日本ではサッカーはスポーツの範疇を出るものではなく、文化として根付いているとは言えません。そういった意味ではアジアの中ですら未だ後進国と思えます。貧困にあえいで治安も悪く、まともに生きていくことがままならない庶民に一縷の望みを託された貧しい国の代表選手とは、背負わされている重圧が違いすぎます。よって近い将来W杯で優勝が可能という希望的観測には全く同意できません。それこそ「100年早い」といったところでしょうか。
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