マルチで大成したかもしれないアスリートは?
私はボー・ジャクソンこそ史上最高のマルチアスリートと断言しますが、もし挑戦していたらどうだったろうと想像を逞しくする選手は他にもいます。ただNFLとNBAはシーズンが重なってしまうので掛け持ちは難しいですね。どちらを優先するかをはっきりさせた契約をすれば不可能ではないですが… このどちらかとMLBならば重複期間が少ないのでハードルは低くなります。
そう考えると、最もジャクソンに近づけたのではと思うのがジョン・エルウェイなんですよね。1983年のNFLドラフト全体1位指名権を持っていたボルティモア・コルツがエルウェイを指名するのは確実と見られていましたが、彼は寒いボルティモアでプレーしたくないとして拒否、もしコルツの指名を受けた場合81年のMLBドラフトで2巡指名されていたニューヨーク・ヤンキースで野球をやると宣言したのです。結局コルツは指名を強行したものの、半ば脅迫に近いエルウェイの態度に負けて1週間後にはデンバー・ブロンコスにトレードすることになり、10年に一人の逸材を野球にさらわれる事態は避けられたのです。
しかし寒いのはデンバーはおろかニューヨークも同じですからね。コルツを嫌った真相は当時コルツがどん底の低迷期にあったこと、フランク・クッシュが暴君のように振舞う規律主義者で、選手に余りにも過酷なトレーニングを強いる悪名高いヘッドコーチだったことをサンノゼ州立大のヘッドコーチだった父ジャックが危惧したのが大きかったようです。
エルウェイはスーパーボウルを2度制し殿堂入りも果たしていますが、野球ではどうだったでしょう? 大学時代のスタッツを比較するとジャクソンには見劣りし、特に長打力において顕著です。まあジャクソンにパワーで匹敵する打者など、おいそれといるはずはないので仕方ないですね。それでも日米大学野球で4番を張ったオールアメリカンですからパワーがあったのは確かでしょう。この時すでに彼を知っていた私は大いに注目して見ていましたが、非常に荒削りでブンブン振り回すもののタイミングが全く合わずに三振ばかりでした。同じく日米大学野球で4番を担い、後年ヤンキースでも4番を打ったティノ・マルティネスよりパワーは上、確実性は下といったところでしょうか。
また、フィジカルの強さと身体能力の高さは当時どころかQBとして史上屈指のものですから、所謂5ツールプレイヤーになっていたかもしれません。特に強肩は最大の見せ場になったことでしょう。野球より遥かに大きく重いボールが、まるで地を這うかのような弾道でレシーバーの胸に突き刺さる豪腕は、少なくとも現役最強の肩と称されていたのではないでしょうか。見てみたかったなあ…
もう一人はデイヴ・ウィンフィールドです。野球殿堂入りしているウィンフィールドは、ミネソタ大でバスケットもプレーしていました。ただ快速球投手としてオールアメリカンに選ばれてカレッジ・ワールドシリーズでMOPにも輝き、ドラフト1巡4位で指名された野球に比べると、NBAドラフトは5巡指名ですからトップ・プロスペクトではなかったことになります。しかしフットボールはプレーしていなかったにもかかわらず17巡ながらTEとして指名された事実は、その運動能力が非常に高く評価されていた裏付けになりますね。つまりバスケットに専念するという選択はあり得なかったにせよ、掛け持ちは可能だったはずです。とは言えバスケットの場合、スターターは5人だけですからレギュラーポジションを掴むのも大変だったでしょう。
またウィンフィールドの場合、野球での二刀流も可能だったのではないでしょうか。投手として指名されながら打力を見込まれて野手に転向した例は枚挙に暇がないですが、私は彼が最も成功する可能性を秘めていたと思うのです。時代的にあり得なかったにせよ想像が膨らみます。
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